インドネシアから知人が来日、日本で働くことに  
10月15日分

 新幹線の中やファミレスなどの人ごみの中で、パソコンに向かって仕事をすのが好きなんです。今もたくさんの仕事をかかえながら飛騨高山に向かっています。秋の地方の講演依頼はありがたく、便乗してひととき紅葉を楽しめることがあります。今回も足を伸ばして紅葉を楽しもうかと思っていたら、急に京都で人に会うことになり、とんぼ帰りとなってしまいそうです。急な用事とは、実はインドネシアから来日した看護師・介護職の受入れの件なのです。

インドネシア人のAさんとの出会い
 私が、7月にインドネシアに取材にいったいきさつや簡単な報告は、このブログでも紹介しましたが、他にも書いています。①来週の発売の『週刊東洋経済』、②新聞『シルバー新報』7回ほどの連載が始まります。ぜひご覧ください。
 実は、インドネシアでジャカルタとバリでの取材の合間の休日に、折角だからとジョグジャカルタに寄り世界遺産(ボロブドールなど)の観光をしたのです。その時にガイドをしてくれたAさん(インドネシア人、女性、42歳、岡山に3年間留学の経験あり、日本語堪能、子ども二人あり、妹さんが日本人と結婚して東京に住んでいる)に会ったのです。質素でさわやかな小柄な人です。看護師・介護職来日のことは知っていました。

インドネシア語で受け付ける『24時間コールセンター』 
 私は、様々取材するうちに、来日するインドネシアの若い看護職・介護職を守る団体(何か)を作らなければならないのではないかと、秘かに思い始めていました。日本語もよくわからない、習慣も違う日本に来て、孤独にもなり、あるいは悪い人にだまされるかもしれない。そんなときにSOSでき、彼らを守り解決に動く何かが必要なのではないかと思ったのです。誰がどんな形で作るかはわからないけれど、自主・自立の組織を作り私も中心的にそれをやっていこうという思いです。その構想の中で、インドネシア人の看護師たちからの24時間オンコールで、インドネシア語で受付をする相談窓口をぜひ作らなければと考えていました。しかし、誰がそれを担うか・・・。数人で交代して電話を受けるインドネシア語が堪能なボランテイアを探さなければと思っていました。

『私が日本に行きます!』
 そんな時、Aさんの妹さんが東京にいると聞き、ぜひ紹介してほしいとAさんにお願いしました。「いいですよ、明日の朝、連絡先をもってきます」と。
 ところが、翌日会ったときに、Aさんは、「妹の連絡先は教えません。その仕事を私がしたいです。私は、日本で子どもを育てながら暮らすことを願っています。私の履歴書はこれです。お役に立つことを何でもしますよ。仕事をさせてください」といって、さまざまな資格などが書いてある日本語の履歴書を持ってきたのです! 驚きました!   同行した日本人3人の私たちは、何とかAさんの就職口を探せるなら探そうと履歴書を受け取ってきたのでした。

『インドネシア人の通訳を雇いたい』
 縁とは不思議なものです。9月、ある会合ではじめてお会いした方(医療法人理事長)が、「実は、うちの病院でインドネシアの看護師(20歳代の男性2名)を受け入れることになったんだよ。しかし、いろいろ困っているんだよ」というのです。それで、早速その理事長の病院に伺いました。要するに、来年2月からインドネシアの看護師2名を受け入れるのだが、その住まいやもろもろの準備のために会って相談しようにも言葉が通じなくて困っているんだよ。それに受け入れ側として職員に多少でもインドネシア語がわかるように教育したいんだがね・・・」というのです。
 そこで、私はAさんのことを話したら、『その人をうちで雇用しよう。通訳やインドネシア語の教育やらちょうどいい。住処も給料もきちんと保障するし、その子どもさんの教育も何とかなるようにしよう』といってくれたのです!

雇用契約成立、Aさん日本へ
 雇用するといってくれたのは、栃木県野木町の医療法人友志会理事長・正岡太郎氏です。(受け入れる病院は、リハビリテーション花の舎病院) 正岡先生は、すばやく入国のさまざまな調査や手続きをしてくれました。その上、町の教育委員会と相談してくれました。そして中学1年生の娘さんの受入れについて、インドネシア語ができる教師を手配して、配慮した教育ができるようにしてくれるというのです。(ちなみに、栃木県の中学には、インドネシアの子どもは一人だけだそうで、二人目だとのこと)
 つい先日、Aさんが準備のために来日しました。私も久々に会ってみんなで食事をしました。Aさんはとても緊張しながらも「すごくうれしい! がんばります。今のところは心配なことはありません。決意してきます」と。来年2月には、子どもさん一人をつれて日本にやってくることが決まったとのことです。

インドネシア人の看護師・介護職の受入れる姿勢
 正岡先生は、「人手が足りないから受け入れるのではなく、国際協力だ。鎖国のような状態で国内だけを見て生きるのではなく、世界の中でできることをやりながら協力し合っていくことが大事な時代だ」というような内容のことを話してくださり、インドネシアの看護師にもぜひ国家試験が受かるように全力で協力するというのです。それに、受ける側の職員も少しでもインドネシア語を覚えて・・・。もっともっと交流し視野を広げ・・・と。それで持ち出しの経費がかかるのに、Aさんを雇ってくれるというのです。こういう姿勢がすばらしいし、とても大事なことだと思いました。
 それで、正岡先生と日本の受け入れ側の病院・施設のネットワークのようなものを作って独自の取り組みを始める必要性などを共有しました。そういう病院・施設の方、いかがでしょうか? 

 そのことで、急に京都で関係する方に相談することになったのです。
 人任せにしないで、何とかしなければならない。私もできることをやらなければと思っています。皆さんも何か情報があったら連絡ください。