「さっき、産んだんです!」

「さっき、産んだんです!」        2014月4月15日分

親しい知人のKさんが産休でした。出産予定日間近なのでどうなったかなと思って、電話したのですが出なかったんです。「陣痛が来て病院に行ったのかな?」「ただ単に買い物中かな?」などど、勝手に推測して心配していました。

元気?
 やっぱり何だか心配になって、翌日にBさんの携帯電話を鳴らしました。そしたら、いつもの声で落ち着いて電話に出てくれました。
私「Kさん、元気? 昨日電話しても出なかったのでどうしたかなってちょっと心配していたんですよ」
Kさん「すみませんでした。昨日は長男と遊んでいて電話をとれませんでした。電話しないですみません」
私「あっ、そう。元気でよかった。そろそろ予定日よね。大丈夫? その兆候はあるの?」
Kさん「そうなんです。予定日なんです」
私「産んだ後は、だれがお世話してくれるの? 誰が助っ人はいるの? 旦那さんの協力は?・・・・・・」
と、私が余計なおせっかいで老婆心で聞いていました。そしたら・・・。

「さっき、産んだんです!」

Kさん「宮崎さん、私、さっき産んだんです! もう生まれたんです!」
私「ええっ、産んだ直後なの?」
Kさん「そうなんです。2時間前に産んだんです! やはり女の子でした」
私「母子ともに元気?大丈夫?」
Kさん「元気です。母がしばらく応援に来てくれます」
私「お産は大変だったの?」
Kさん「いいえ、二人目だったので、会陰切開をしなかったので縫合もなしなので、もう歩いてトイレに行っていますよ。
私「そう、偉かったねえ」

「産まれた」ではなく「産んだ」
 Kさんが、あまりに落ち着いていたのでこれからお産かと勝手に思ってしまって話をしていたのですが、立派にお産を終えていたのでした。
 私が感動したのは、「産んだんです!」という言葉です。この言葉を吐けるのは、主体的に産んだ人だけです。とかく、助産師や医師に産ませてもらって結果的に「産まれた」ということになりかねない。Kさんは、自分で産んだ、助産師さんや医師に支援はしてもらったということ意識だったのだと思います。
 介護もなんでもそうかもしれませんが、誰が主役で誰が脇役か。その状況で生きる本人が主役・主体・当事者です。医師も看護師も介護職もそれを支援する支援者(サポーター
に過ぎないのだと思います。なんでもしてもらって「ありがとう」という受け身ではなく、主体的に立ち向かう姿勢が大事なのだと思います。

 Kさんの一言で、清々しいKさんの顔を思い浮かべ、とても力強く感じました。こういう姿・姿勢になるようにすることが支援者側の役割かなあとも思いました。