「メイド」のいる国、いない国
『メイド』のいる国、いない国 9月25日分
先日、タイのチェンマイ大学の教授とお会いしました。ちょうど私の三男(私には3人の息子がいます)が夏休みを利用してチェンマイ周辺の山間の村に学生ボランテイアで1ヶ月こもっているときで、縁というのは不思議なものだなあと思いながら、若い他国の研究者に会って、例のEPAの看護師・介護福祉士来日問題についてじっくり話しました。
タイでは、看護師・介護福祉士は来日しない方向だと
私がこれまで聞いてきた内容は、EPAという1国同士の2国間経済協定で、まずはインドネシア、次にフィリピンが協定を結んだ。その後、タイやベトナム、しいては2国間ではなく東アジア全体の協定が見通されているということでした。ですから、気がついてみるとアジアのいろいろな国の人が来日し、現場にいるということがありうるということです。それについての賛否についてはここでは論じませんが、知らないうちに、了承していないのに事が進むことに非常な不安・危機を覚えるのです。だから「ガルーダ・サポーターズ」という団体設立・運営に精を出してもいるのです。
タイの話はどう進んでいるのかとお話を伺った。日本にどんどん看護職・介護職を送り出したいのか、そうでないのか・・・。当の看護師たちはどう思っているのか・・・。
「タイでは、今のところの結論は、私が把握している限りでは、日本に看護師などを送り込まないという方向です」という。
「どうしてですか」
「日本での看護の仕事は、メイドの仕事も含まれているということです」
「それはどういう意味ですか」
「宮崎さんがいうように、日本で看護師の2大業務としてとても重要視しているよう療養上の世話・日常生活上のケアはインドネシアではメイドの仕事となっている。タイでも同じなのです。介護や日常生活ケアは、素人の仕事で、それも階層の下の人がするメイドの仕事とされているのです。勉強して資格をとった看護師は、メイドの仕事をしたくないのです」
「・・・」
「どうしてメイドがいるのですか」
世界の経済先進国では、専門職が担う社会的な介護の必要性が認識され、新たな専門職が登場しています。そうでない国では、社会的な介護は存在しませんし、まだ発生していなくて家族内の世話、あるいは家庭での使用人である『メイド』の仕事とされているのです。それで、その教授と私のやり取り。
「どうして、日本にはメイドがいないのですか」
「どうして、タイにはメイドがいるのですか」
「メイド」の存在が、社会的な介護・日常生活支援のプロとしての確立を左右する 実は日本でも数十年前までは、住み込みの「お手伝いさん」「奉公人」がいました。労働者になっていない個別使用契約の人です。時に家に24時間住み込んで家事・育児・雑用その他を行う人です。
そういえば、私の友人がベトナムに日本語教師としていくときに言っていたこと、「メイドを数人雇わなければいけないんだって。だからすることがないのよ。それが規則のようなものなのよ。そうしないとその国の人は収入がないんだって」。フィリピンの友人「私のような薄給でもメイドを雇わなければならないのよ」。インドネシアで通訳してくれた母子家庭の知り合い「私も二人メイドを雇っています。家事はその人が全部行います」
自分の生活のこまごまとしたことを自分の力で自立して行うということではなく、「メイド」にやらせることが当たり前の社会の仕組みなのです。これでは社会的な専門的な介護は育ちません。看護職が担うプロとしての生活支援も光が当たりません。
日本の看護・介護はレベルが高い
私は、日本の看護・介護の理念とスキルが高いと思います。私は世界中の10数カ国で看護・介護の現場の視察をしていますが、日本の看護師・介護職のレベルが高いです。生きることについて自立の考え方、その支援の理念も高いと思います。誇りに思います。
EPAの他国の看護師・介護福祉士の来日問題は、考えれば考えるほど深い問題です。単純な労働問題ではありません。そのことを意識しながら議論し、方向性を見出していかないといけないとつくづく思います。
国家間格差・・・
タイも経済的にそれほど豊かな国ではないといわれています。ですから他国へ出稼ぎをすることを検討しているのです。「貧困国」の一つだと認識されているのだと思います。
それなのに、私が驚いたのは、タイの人の生活を支える「メイド」を誰が担っているか・・・。なんと自国民ではなく、もっと貧困な周辺の国であるラオスやカンボジアの国民なのだそうです!・・・。なんということなのでしょう! どこまで格差が続くのか・・・。その低いほうに「メイド」が位置づけられている(時に奴隷のように扱われている・・・)日本で築き上げてきたプロとしての「介護職」はどうなるのか。国民はどんな介護を受けたいのか。