『その時、訪問看護ステーションは・・・』
『その時、訪問看護ステーションは・・・』 3月25日分
「3・11」は日本人にとって忘れることができない日になるでしょう。あれから1年、マスコミではその映像がたくさん流れました。これまで見たこともないような映像も多数みて、あの日のことをまた全身で思い出した人も多いのではないでしょうか。
私は、約1ヵ月後から現地に通わせていただいてきました。直接住民・利用者の方へ接することはあまりできませんでしたが、被災地・被災県の訪問看護ステーションの皆様に何らかの支援ができないかと模索して動いてきました。その内容は、このブログでも紹介させていただきましたし、「月刊介護保険情報」(社会保険研究所出版)に連載で9回書かせていただきました。あと1回で終了です。私ができることの一つは、現地で起こったこと、それに立ち向かってきた人たちのこと、その後の取り組みを全国の皆さんに伝えることかなあと思って実施してきました。
報告集作り
全国訪問看護事業協会で、記録集を作成してはどうかということが検討され始めたのが、2011年12月中旬です。現地を何度も訪問させていただき、被災したステーションのみなさんが立ち向かっている姿を記録に残さなければならないとずっと思っていました。しかし、現地の方々は毎日が精一杯で動いているので、私たちができることは記録することを手伝うことではないかということになったのです。
それで急遽、取り組むことになり、どうせやるなら3月11日までに完成させようと、少々無理な計画を立てたのです。これはあくまで、被災地の皆さん方の記録であり、自らの言葉で語っていただくことを原則として、種々の理由でどうしても書くことが難しい場合は、インタビューに伺い原稿を起こすということにしようというものです。
年末までにFAXで被災の有無や原稿を書くことについてのFAX返信をお願いし、そして1月20日までに概ねA4サイズ2枚の原稿をお願いしました。結果的に39ヶ所の訪問看護ステーションについて掲載することができました。みなさん、忙しい中で本当にありがとうございました。感謝です。生の声の迫力に圧倒されてしまいます。胸がどきどきして読み進みました。
手作り
全国訪問看護事業協会では、事務局の千木良さんと私と上野理事が連携・分担して作業をしました。手作りでほっとするような冊子にしようと。写真はカラーがいいと、全頁カラーでの仕上がりになるように頑張りました。協会としての記録集なので、どういうものになるのかのさまざまな不安はありましたが、結果的に176ページの素敵な冊子になったのではないかと思っています。
装丁(表紙)をどういうものにするかについては、いろいろ議論がありました。報告集だからシンプルに・・・という意見もあったのですが、担当した私としては、『ワアー、ステキ!』というものに仕上げたいなあと考えました。プロのデザイナーに依頼することにしたいと思ったのです。私から見ると、被災地の皆さんが書いてくださった内容が、涙が出るほど素晴らしいのです! それでそれを表紙でも表現したいなあと思ったからです。
しかし、プロのデザイナーに依頼するのは料金が・・・。そこで、私の30数年来の友人のプロのデザイナーにボランテイアでお願いすることにしました。いつも無理ばかりいっているので承諾してくださるのかどうか不安だったのですが、大震災の件なので快く引き受けてくださいました。
恐る恐る出来上がった表紙の装丁を見て、飛び上がりました! ブラボー! 素晴らしい表紙!!と。アートディレクションとデザインを担当してくださったのは、コガワミチヒロ氏です。
出版は・・・
全国の訪問看護ステーション(当協会の会員)に配布されました。全国からたくさんの義捐金をいただきました。その報告書が届いた方から多数連絡をいただきました。
「素晴らしかった。涙がこぼれて・・・。とてもよかった」
「被災地です。こんなに立派に仕上げてくださって感激です! ありがとう!」
「表紙だけも見てもビックリしました。とても素晴らしいです」
「職員全員分10冊ほしいんだけどどうすれば手に入りますか」
「役所などに配布したいのですが、予備はありますか」
「どこかから出版してください」
「大学や学校に記録集を残したいし、病院の看護師さんにも、見せたいです」
などと多数の反響をいただいています。
このブログをごらんの皆様にもお見せしたいのですが、もう在庫があまりない状態です。
どこかの出版社から出版することもぜひに考えなくてはと思っているところです。
その節にはどうぞよろしくお願いいたします。