『ラヒホイタヤ』そして、エストニア
『ラヒホイタヤ』 そして、エストニア 11月25日分
今はヘルシンキにいます。今朝は3時から起きてパソコンに向かっています。フィンランドにきて6日目です。現地からのレポート第一報です。
昨夜やっとメールが通じるヘルシンキの宿に帰ってきました。地方の小さな町を回り在宅ケアやラヒホイタヤ(日常生活支援士、介護福祉士?)の具体的な動きなどを見たり、同行訪問をしたり(夜間訪問看護介護にも同行)してきました。
また、金曜日の夜から豪華客船(Baltic Princess号)でエストニアへのクルージングに行ってきました。タッリンという15世紀の町並みそのままの町でみたこともないものをいろいろ見て食べて楽しんできました。
『ナッヒ・ホイタヤ』ではなく『ラヒホイタヤ』でした
私が日本にいるときに勘違いをしたり、間違って認識していることがたくさんありました。そのことは、これからいろいろなところにきちんと書きますので、そこで見てください。特にここで修正しておくのは、自分の力だけでは日常生活を送ることができない人の支援をする新たな職種ができたことは前のブログに書きましたが、その名称です。『ナッヒ・ホイタヤ』ではなく『ラヒホイタヤ』でした。違った発音を耳で聞いて日本語に訳することは非常に難しいことで責任が大きいことです。まずは、例の日常生活支援士(太田貞司先生訳?)は、『ラヒホイタヤ』でした。
『ホイタヤhoitaja』という言葉がたくさん出てきます。これは、ケアする人・支援者・helper・supporterという意味だそうです。その前につく言葉・職業がたくさんあるのです。
『サイラン・ホイタヤ』(病気の人のケア)・・・看護師
『ペルス・ホイタヤ』prackical nurse ・准看護師 この資格は今はなくなりました。
『コデイ・ホイタヤ』家でのケア ・・・ホーム・ヘルパー 今はなくなりました。
『ラヒホイタヤ』とは、
では、私が深めようとしている『ラヒホイタヤ』という資格職は、どういう職業で、何を専門とするのだろうか。『ラヒ』とは、「身近な」という意味だそうです。つまり、「身近なことをやってくれるサポーター・身近な存在の支援者」というところでしょうか。
それまで、フィンランドにあった10個の資格が統合して新たに出来上がった資格だそうです。発達途上の子どもの保育、知的障がい者、精神障がい者支援、認知症の人の支援、在宅生活を支える支援、歯科・口腔ケア専門家、リハビリ支援士、救命救急支援など・・・。
その教育内容などは、また追ってお知らせします。どこの現場に行ってもラヒホイタヤが中心になって生活支援をしているのです。そのラヒホイタヤは、高齢者の現場でも保育園でも病院、障がい者施設、リハビリの場でもラヒホイタヤが活躍しています。
その専門性は、いまひとつよくわからないのですが、そもそもこの資格ができた背景が、さまざまな背景・要因があったようなので、シンプルではないんです。
とにかく、世界中でどの国にもない『ラヒホイタヤ』は、ある意味では世界中の実験であり、今後に指し示す何かを持っていると思います。
エストニア
エストニアという国は、どこにあるのでしょうか? 地球儀・世界地図で探してみてください。ソ連が崩壊しロシアになり、そしてバルト3国が独立をしましたね。そのバルト3国の一つの国です。エストニア・ラトビア・リトアニアです。バルト海に面した人口約130万人、エソトニア語が公用語です。遠い国のことで全然わからなかったのですが、フィンランドとエストニアが実は、地理的にも国同士の関係性の上でもつながりが深いことがわかりました。
知り合ったフィンランドの看護師は、エストニアに別荘を持っているといいます。「エストニアに行くなら、ぜひ、『VANA TALLINN』というアルコールを飲んでみて。40度のお酒だけれどおいしいから。絶対よ」といわれ、早速試飲しました。そうですね~、ヴォッカとも違うし、焼酎とも違うし、テキーラとも違うし・・・。小さいボトルをいくつか買いましたから、試飲したい方はメールください。
船には、たぶん千人を越える人が乗船し、催し物もたくさんありました。若者が酒を飲み徹夜で遊んでいました。
エストニアのタッリンという町は、エソトニアの首都で、ハンザ同盟の町です。自主的に自分たちで運営をするというハンザ同盟という町はヨーロッパにいくつもできます。その中の一つで、城壁もありますが、それは王様を守るためではなく、自分たちの町を守るためのもの。15・16世紀の町並みがそのまま残っていて、そこで人々はいまでも暮らしています。
タッリンの市庁舎前の広場では、出店?市?の屋台があって独特のものをたくさん売っていました。おもしろくてあれもこれもみんな欲しくなり、買いました。トナカイのジャーキー(ここではトナカイは身近な動物です)、杜松(ねず)の木の生活用品、暑いフェルトのトンガリ帽子、小さな琥珀でできたtreeの飾り物・・・。
歩いて3分のところに大きな協会が2つある。ルーテル協会とロシア正教の協会。どうして全く違う宗派の協会ができて今も生活に根付いているか。歴史の複雑さと同時に現在の諸問題の象徴でもあるようです。どんな人たちがどんなことを考えて、大事にして生きているのか・・・。私にはまだ理解できない人々の生き方に触れ、想像し・・・。ワクワクする探検でした。
アパートメントに滞在
今いるこの宿は、一般の人が住むアパートメント(1LDK)で、そこを5日間借りて滞在しています。近所にスーパーがあり、食材を買ってきて自炊しています。家具や調理器具がシンプルで機能的で惚れてしまいます。長い硬いキウリ、マンデリン(いわゆるみかん、モロッコかスペインからの輸入だとか)、高齢者の朝食は、五穀米のおかゆかなと思うような、お湯を注げばできるさまざまな穀物が混ざったおかゆ。
こんな氷点下の国で浴槽に入る習慣がほとんどない。と、ふと考える、「日本人はなぜ入浴するのだろう?」と。エアコンもコタツもストーブもないのに、高齢者でも半袖で暮らしている・・・? 日本で当たり前だと思っている生活習慣は本当は?
原点に返って『生活』ということを考えるとても貴重な体験をさせてもらっている今です。