『去る友』『新しい友』

『去る友』『新しい友』       2013年2月15日分

先日、夜遅くに学生時代の友人から電話があった。「同級生の○○さんが亡くなったんだって・・・。がんだったんだって」57歳。この一年間で50歳代で亡くなった友人は3人目。
義母と先輩が言っていた言葉を思い出した。
◆義母(80歳のころ)「またお葬式なのよ。友人でね。今年に入ってから何人目かしら。歳を取ると友人・知り合いがだんだん減っていくのよ。さびしいものよ」
◆人生の先輩「歳をとると、いいこと1つに悲しいこと5つくらいなのよ。うれしいことを思い切り喜ばないとねえ。悲しく寂しいことは、心の中に静かにそっと入れ込んでいくのよ。そういうものなのよ」
 『去る友』。もう会えないかと思うと、やむを得ないとはいえ、寂しいもの。会う人ごとに、別れるときに、心の中で“これが最後かもしれない”と思って接した方がいいのかもしれない。

新しい友
 去る友もいるけれど、新たに出会う友も少なくない。知り合ったばかりなのにいっしょに旅行にいくことになり、ずいぶん前からの友人のような気分の“旅友”。講演で呼んでいただき、その交流会で話してみたら共通の友人がいて親しくなった“友友”・・・。メールで知り合い、会ってみたら意気投合した“同志の友”、息子の友人の母たちとの長く続く“はは友”。“シャンソン友”“ワイン友”“つり友”・・・  ありがたいです。
結果的に、住所録の名前は減るよりも増えているのが現在の私の動き。これがいずれ逆転するのか・・・・・。

記憶障害
 困っていることは、よく知っている人なのに、名前と顔とが一致しなかったり、どうしても名前を思い出せない場合などがあること。何と失礼なことか! でも思い出せないことがあるんです。
これまでで一番失礼したのは、名刺を10回いただいた若い男性の方。『宮崎さん、今度は覚えていただきましたか。僕が宮崎さんに名刺を渡すのはこれが10回目ですよ』『知ってる!知ってる! あなたのことはよく知っているのにどうしても名前を思い出せないのよ! ごめんなさいね』『宮崎さん、それは思い出せないのではなく、覚えてくれていないんじゃないですか?!』『ええっ、そんな・・・』
こういうふうにどうしても思い出せない方がたまにいらっしゃるんです。本当にすみません。