『焼岳』登山
『焼岳』登山 8月15日分
8月15日、快晴。「さあ登るぞ~! 頂上まで登れるかな? 登れるところまで登って下山しよう」そんな想いで登り始めた。
噴煙と硫黄臭の岩の山『焼岳』(やけだけ)
夜中の1時に起きて、2時に東京の自宅出発。目指すは、7時に上高地から登山開始。直前までおにぎりやのり巻寿司・から揚げ・枝豆・野菜などの朝・昼食を作りたくさんの荷物を持って出発。首都高速も中央高速もスイスイ。諏訪湖サービスエリアでボルボの友人(いつもボルボを乗り回している彼女)と合流。予定通り。
今回の登山は4名。息子2人とボルボの友人と私。いつもは夫と他の友人などプラス数人。今回は急な決行。体調も日焼け止め対策もバッチリ。ただ、しばらくちゃんと登っていないので体力の面での心配あり。
正確には上高地ではなく、その道を高山の方に少し行った中の湯温泉のところから登り始めた。どの登山もそうだが登り始め30分はきつい。“やっぱり止めようか”と。しゃべらずもくもくと登る。2時間ほど樹林帯を登ったところから景色は一変した。ゴツゴツした高山ならではの山の姿と真っ青な空と熊笹の緑。そのコントラストがいい。大きなゴツゴツした2つの山の間に、ちょっと変わった全く別物に見える白い岩の山が見え、そしてそこから噴煙が上がっている! “ヘーイ どの山が焼岳なんだろう” などと思いながら足取りを進めた。
息は大丈夫だが暑さも加わり足がうまく進まない。10歩登っては休む。「ワアーッ、高山植物よ」「もう紅葉が始まっているわ」エーデルワイスを見つけては「♪エーデルワイス ♪エーデルワイス」と英語で歌い、「なしでも食べよう」とわがままな・にぎやかな登りだ。子どもたちは、私の荷物全部を背負って後からついてきてくれる。毎回そうだが子どもたちがいっしょに登ってくれるので私は山登りができる。謝謝。
噴煙に近づくにつれ、硫黄臭が鼻をつく。稜線に出たところでパアッと視界が広がり山頂の池や四方の山々が神々しく見えた。『焼岳』山頂は、下から見えたあの白い岩山だったのだ!
6時間半の雑感
登ること3時間半。中々の久々の登山だった。ゆっくりなら何とか登れた。山頂でわいわいおしゃべりしながら1時間食事を取り、下山は2時間だった。この6時間半の中での雑感。
◆「ヤッホー」という子どもたちの姿
最近の山は、中高年だらけ。子どもや若者を見かけなくなった。しかし、今回の登山では家族づれや若者のカップルが目立った。どこからともなく子どもの声で「ヤッホー!」という声を聞いた。なんだかうれしかった。
◆息子の靴が壊れたこと
古い登山靴を履いていった息子の靴底が左右ともにとれてしまい、難儀だった。テーピングや手ぬぐいを引き裂いて応急処置などをしたが、最後は靴下のまま下山した。最近の登山靴は糊付けの限界で数年が寿命とか。そんなことを知らない私たちが悪いのか・・・。周囲の人がみんな自分も経験があるというから、本当によくあることらしい。昔は手縫いで一生ものだと思い込んでいたので複雑な思いと同時に勉強になった。
◆「どうして登るんだろう」と思うこと
下山の時、驚いてしまった。「こんな急な坂をよく登ったものだ」「こんなに長かったんだ」「自分の足が、膝がよく耐えている。人間の足って強いものだ」などど。
しかし、最も思ったのは、『どうして登るんだろう』ということ。下山の2時間そればかり頭に浮かんだ。“誰のためでもない”、“すぐに下山するのに”、“こんなに苦しいおもいをするのに”どうして登りたいと思い、そして登り始めるのだろう。
答えは、それぞれ自分の中にある。登山に限らず、日常の中で、仕事の中で、“どうして?”と思うことを自分がやっていることがあるのではないだろうか。
41番目の山
初めての登山が、21歳、白馬岳。それから32年、途中お休みをしていた時期もあったが、細々と続いている。途中から深田久弥の日本百名山を意識して登っている。我が家には大きなのれん(百名山が書いてある)を貼り付けてある。登った山にその山のバッヂを付けて楽しんでいる。今回の『焼岳』は41個目のバッヂにある。これから残り全部を登ることは到底無理だが、当面の目標は50個のバッヂかなあ、などと思っている。