どうせだから 笑って生きよう
どうせだから 笑って生きよう 2012年11月5日分
先日、素敵な方にお会いしました。お年は75歳で岩手県北上にお住まいの女性。築120年の大きな古民家に一人で住んでいらっしゃる。
会話が絶妙
私「お生まれは、どちらですか? この地の北上のお生まれですか」
○○さん「私は嫁にいったことがないから、ここで生まれここしか知らない」
「だけど娘さんが・・・」
「ハハハ 私は、婿取りだよ」
「なるほど、そうですか」
と、会話がおもしろい。ポンポンとおもしろい言葉が返ってくるんです。
「私は、病気をしちゃってね、そう長生きできないらしい」
「ヘーイ、失礼ですけど、どういう病気ですか・・・」
「失礼でもなんでもないよ。事実だから。白血病だよ。生きているのが不思議らしい」
「そうですか・・・。でもとても明るくしていらっしゃるんですね」
「いつかは死ぬんだからクヨクヨしたってしかたないだろう。どうせだったら、笑って生きるよ。ハッハッハ」
「こんな大きな家で掃除するのもたいへんでしょうね」
「そうだよ。だから掃除はしないと決めているんだ。別に困らないよ」
じっとしていることはなくて、リンゴを作り、野菜を作り・・・と忙しい。
「私の母も農家で外仕事をするからに日焼けしてシミなどが出ているのに、○○さんは、肌が白くてシミがなくつやつやしていますね。うらやましいです」
「そうでしょう。それが自慢なんですよ」
と何を話してもありきたりの会話ではなくおもしろい。
「自費出版するんだよ」
「楽しみの一つは、詩を作ることなんだよ」
「ヘーイ、詩人なんですか!」
「そんな立派なもんじゃないよ。1人で勝手に詩を作っているんだ」
「すごいですね。一つだけでも拝見させてください」
「いいよ、どこかにころがっているよ。それよりも今度詩集を出版するんだ。お金はないけれど何とかなるだろう。自費出版っていうものらしい。詩の先生がそう進めてくれたんだよ」
「すごい! いつから詩を書き始めたのですか。昔からですか」
「いいえ、夫が死んでからだから6年前かな。夫が死んで1人になり、やっぱりさびしかったんだろうね。何かやろうと思ったんだわ、きっと。そしたら孫の詩が学校で表彰されたんだよ。それを見て、“自分も書いてみようとはじめてみたんだ。自己流で・・・」
ひとつの作品を見せていただいたが、北上の自然の日々の生活の中からでの心の様子が歯切れよく描かれていました。
詩集がもうすぐ完成するそうで、とても楽しみです。それにしても好奇心旺盛なこと、そして気取らず挑戦するするこの姿勢に圧倒されました。
この家は生まれ変わるらしい
「この家をこれからどうするんですか」
「どうにでもしてくれていい。私はいなくなっていくものだから、残った者たちがいいように使ってくれる方がありがたい。若い者が年寄り向けの家にして使う計画をしているようだよ」
「そうですか。複合型サービス、みんなで暮らす家・アパートのようなものなどを考えているようですが、本当にそれでいいんですか」
「いいよ。この土地の年寄りも一人暮らしが多くなってヨボヨボしてきて一人暮らしができなくなっている人もいるよ。そういう人が施設に入るんじゃなくてアパートのようなところに住んで、ちょっとした見守りなどをやってもらうといいんじゃないかな。若い者が相談しているのを聞いていると、管(チューブ)が入っている人でも病気でも面倒見てあげられて、ここで死なしてくれるんだってよ。それはいいわ。私もここで死にたいわ。私が生きているうちに実現してほしいもんだ。周囲の土地もたくさんあるから、この土地の人のためになることはとてもうれしいよ」
この方とお話をしていて歯切れがよく会話が楽しい! しかし、それだけではなく、人間として凛とした生き方に接したようで、すがすがしさというか潔さを感じる。心から『立派だ』と思った。
うまくいかないことを何でも人のせいにして、「息子が悪い」「職員が悪い」「制度が悪い」「政治が悪い」と愚痴ばかりいって、嫌な顔で悪口をいっている人がいるがどうなんだろう。
『どうせだから、笑って生きよう』というこの方の生き方に拍手!!