イタリア視察雑記1
イタリア視察雑記1 2015年9月25日分
イタリアの精神保健(医療)改革の概要
イタリアの精神保健(医療)改革は、フランコ・バザーリアという精神科医抜きには語れない。バザーリアが中心になって様々な困難に屈せず、大胆に改革していった。現在でもその思想が受け継がれていることを実感した。
◆1971年、バザーリアが精神病院の院長に
1971年に、バザーリアがトリエステ県のサン・ジョヴァンニ精神病院長に登用された。当時の入院患者(1200人)は劣悪な状況に置かれていた。
トリエステ(イタリアの北東部の人口約20数万人の町)の小高い山?丘?の広大な土地がすべて精神病院で、入り口はしっかりとガードされ、町の周りから隔離されていた。病棟がたくさん並んでいて、真ん中に大きな道路があり、それを挟んで東側は女性、西側は男性の病棟。入口に近い下の方が重度で上に上がるにしたがって軽症者。真ん中あたりに、豪華な院長邸宅があった。
入院患者には一切の私物はなく、自分という人はいないような状況。もちろん鍵をかけられ、すべての権利がなかった。
そこには、528人の医師・看護師他が働いていたが、看護師の主な仕事は『監視』であり、鉄格子の窓枠の掃除など。病名も内服薬の種類も知らされず、また看護師自身も下層の人々でありひどい環境におかれていた。
バザーリアは、患者も看護師たちも解放していった。
◆精神病院開放
それは精神病院を開放し、患者とともに町に出て、患者の権利を取り戻す活動だった。
1.あるまとまった数の患者を退院させ、それに見合う職員も一緒に出して、拠点としての地域精神保健センターをつくった。
2.このセンターは、当初から24時間オープン年中無休だった。
決してスムースに進んだわけではなく、世界中から賛同する若手医師が集まり、改革していった。
◆1978年、180号法(通称バザーリア法)が成立
1978年に180号法(通称バザーリア法)が成立し、精神科病院の新設、すでにある精神科病院への新規入院と再入院が禁止された。トリエステでは1980年にサン・ジョヴァンニ病院がヨーロッパで最初に閉鎖された。
1980年、バザーリアは脳腫瘍で亡くなりましたが、改革は多くのバザーリア派の人々に受け継がれている。
精神病院の代わりに精神保健局が設置され、精神医療に関するサービスは、精神保健センターを中心とした現在のような精神保健システムへと発展した。
精神保健というと、日本では医療ではないように受け取られやすいが、医療も含めy¥点滴指示書
◆1999年 イタリア全土から精神病院がなくなった。
そして、1999年にはイタリア全土から精神病院がなくなった。