イタリア視察雑記4
イタリア視察雑記4 2015年10月25日分
気を抜くと逆戻り
視察の中で、様々な立場の方や現場の人にお話をしていただいた。どの人にも共通しているのが、「どうして精神病院をなくしたか」「バザーリアの時代から大事にしていることはなにか」と熱く語ってくださることだ。「患者は治療の対象物ではなく、主人公」「自由が最高の治療」「退院することが何よりの治療」「市民としての権利を」「人間としての権利回復」などと、当たり前のように思えることを熱い思いで伝えて下さった。
わざわざみんなで語り継ぎ、確認し合っているという印象だった。
精神病院はなくしたが、いつ逆戻りするかわからない・・・
その話の中で、ある方がこう言った。「放っておけば、いつ逆戻りして精神科病院に閉じ込めることになるかわからない」と。精神病院から解放してそれが当たり前だとイタリアの国中の合意なのだと思っていたが、そうではないというのだ。始める時も精神病院を閉鎖することに賛同できず、辞めていった医師・看護師もいたという。また、法律で精神病院をなくすことを決定しても、イタリア全土がスムースにそれに向かっていったわけではない。10数年後に再度徹底する法律を作ったとか。
精神病院をなくし、地域で精神障がい者を支える方法を模索してきた30数年だと思うが、たからイタリアがうまくいっているわけではないというのだ。
その理由を詳しくお聞きすることはできなかったが、常にみんなが確認しないと逆戻りする可能性があるということを聞き、「そうなんだなあ」と深く心に残った。
逆戻りするかもしれない理由
私なりに考えてみた。精神病院はあった方がいいという理由を。
第1の理由は、やはり精神障がい者のことを理解しないで差別。「あういう人に手間をかけて支援しても、何もならない。まとめて目につかないところに入ってもらって、生活保障(食事・住居など)をすればいいのではないか」
2つの理由は経済性。「人手をかけてお金をかける国のカネがない。施設・病院に入れておく方が安上がりだ」
3つ目の理由。少しは必要だと。精神病院はあまり必要ないかもしれないが、重度の場合はどうしても入院ベッドが必要なのじゃないか。全部なくすのは心配だという意見。
もっとあると思う。
深いことを示唆
このことは、精神障がい者に限らず、認知症の人でも他の障がい者でも共通する深く大事な何かが関係すると思う。人間のサガというか・・・。
“どんな人”でも、自分が今持っている力で、住みたいところで、差別されずに、自分なりの生き方ができるように、社会全体が支援していくことがどうしてできないのだろうか。