エッチなソーラン節
エッチなソーラン節との出会い 12月15日分
だいぶ遅くなってしまいました。サボっているわけではありません。全国を駆け回っているのです! 凄まじい勢いで全国を回っています。「どうしてか」って? それは、2つの理由。一つは、インドネシアから来日した看護師・介護福祉士候補生をめぐる3つの団体立ち上げのため、もう一つは全国からの講師依頼に応えて、です。
先週はすさまじかった! 前日の夜は、元自治省(現、総務省)の方のとある会で明け方までの会を途中で失礼し、早朝の新幹線で大阪に。その日の午前は、とあることから社長さんにお願いに上がったのに、その話はほどほど合意し、実はインドネシア人の看護師・介護福祉士候補生の話しになり、独自に私財を投じて国際貢献している実態をお聞きし、感動し手を結ぼうと!。その日の午後は神戸で講演。夜は京都で某病院の忘年会に参加。この病院の事務系の若い方々のなんと元気なことか!! 最近はどこに行っても若者があまり元気がない実態に接していたが、この病院は、なんだか元気。この病院でもインドネシアの看護師を受け入れる。受け入れ団体の呼びかけ人になってくださる方々!!!
翌日、帰京し、様々な人に会い、そしてその翌日は早朝から函館空港に。3人の方が迎えに来てくださって、「3人も迎えてくれる人件費は、大丈夫ですか」という私の問いに、「大丈夫です。とにかくいろいろ話をお聞きしたいのです」と。そうですか、私は知っているかぎりのことを一生懸命お話しますと、江差に向かいました。江差のことはあとでたっぷりと語ります。
こんなに忙しい毎日を送らせていただいてありがたいです
翌日、江差から函館経由で羽田に着き、その足で栃木に。インドネシア人の看護師を丁重に準備万端に受け入れ状況を作っている法人のみなさんに会いに伺いました。素晴らしい法人なのです。また詳しく伝えます。ちょうど、その病院のクリスマス会に来ていたインドネシア人の看護師2名(男性)と片言の日本語と英語でおしゃべりし、帰りの電車でずっと話しました。おもしろかった!!
翌々日は、なんと忙しい日だったでしょうか! 私のインドネシア訪問のレポートが『週間東洋経済』に掲載されたことで、経済同友会から講師の依頼があったのです。お引き受けし、思う存分に話をさせていただきました。詳しくはいずれ報告します。
その日の夕方は、趣味のシャンソンの発表会! 講演後、化粧しなおし、ドレスをまとい、銀座博品館ホールの舞台に立ったのです! 歌った曲は、シャンソン・フランス語で「『メ・マン』(ジルベール・ベコー)と、イタリア語でカンツオーネの『ケ・サラ』。頭の切り替えができるかどうかあいまいなままに、時は過ぎていきました。
それを楽しむのもつかの間。衣装を換え、化粧を落として新宿に。インドネシア関連の重要人物に会って協力を求めたのでした。
翌日は、団体の事務局長を務めてくださる方に、はじめてお会いして経過を伝え・・・。翌日は・・・。とこの調子で、毎日どこにいるかわからない状態で日々を過ごしているのです。でもこれはきっと、明日の日本を支える大きな・大事な力になるのだろうと思います。
ここまでは、ブログを書けなかったいいわけです。
江差追分を聞いたとたん、涙が止まらなかった私
「江差追分」という民謡のことは知ってはいました。しかし、本物に触れたのは初めてです。縁があって、江差(人口1万人弱)という町に伺いました。函館空港から車で2時間です。江差の住民の方々は、一言で言えば『自己主張とこだわりがあって素晴らしい方々』でした。自分たちのまちづくりのために話をせよとの事。何かのお役にたてたかもしれません。本当はどうかはわかりません。
私は、翌日の1時間が忘れられない出会いとなりました。私は、どういうわけか、『江差追分』という民謡は知っていました。本場の江差に来たんだから、江差追分を聞きたいとお願いしても誰も歌ってくれませんでした。「難しくて歌えないですよ」。
帰り際の朝、江差で長年教員をされていた方が、私を連れて行ってくれたのです。それは、『江差追分会館』。その方がきょろきょろして誰かを待っていたのです。私にその人の歌を聞かせたくって。
飛行機の時間まであと30分しかないというセチュエーションで、その方は現れました。名前は、『青坂 満』氏。「江差追分道場」と誰にでも公開し広めようとしていることは私には伝わりました。
「青坂先生、東京の方で、あと30分しかないんですが是非『江差追分』の髄を・・・」
「はあ、時間がないですか。では・・・」
「前唄 国を離れて蝦夷地が島・・・・」
相手が誰かも何も関係なく、青坂氏は歌い始めました・・・・。
その途端、私は涙があふれました・・・・・。理由わからないのです。何がなんだかわからないのです。でも、青坂氏の透き通る声? 歌? おたけび? を聞いた瞬間に、なんだか涙があふれて止まらないのです。私は青坂氏のことは全く知らないのです。なのに私のなにかに青坂氏の声・おたけびが響いたのです!
生きる力
私はよくはわかりません。だけど、「江差追分」がすごい民謡であること。たぶん日本一難しい民謡であることはわかりました。それを、漁師で生活の一部として歌い続けてきた青坂氏が歌う歌には、なにかあるのです!
彼の歌をまた聴きたいとCDを買い、本も買いました。帰りの飛行機の中、電車の中では私はずっと泣きっぱなしでした・・・。
青坂氏の生きた証はすごいです!
私は、ソーラン節に何度か出会いました。1974年に、東大のサークルでみんなで踊りました。2回目は、先日、結婚披露会で「ロックソーラン」を息を切らせながら見え張って踊りました。
そして、今回3回目の出会いです。青坂氏はこういうのです。「江差は、江戸よりも繁盛した町。1シーズンに3000隻の行き来して江戸よりにぎやかな街。にしんがとてつもなく獲れて活気があった。沖歌があって、ソーラン節も江差追分もその中の一つ。ソーラン節もな、たくさんも歌詞があるんだよ。漁師が活気づいて勢いを増すのにはね、『イロ』は大事。実はね・・・」 ええっ。こんな歌詞があるんですか・・・。エッチな歌詞ですね・・・。
今日は、「エッチなソーラン節」よりは、『江差追分』の神秘さを伝えたかったのです。追分の歴史も、北海道の動きも、にしんのその後もみんな関係します。
青坂氏が淡々と歌い伝えてくださった『江差追分』。私が、何も知らず聞いて涙が出てくる・・・・。本物なんですね! 何が??? 私は、青坂氏の歌とその姿から、なにか「生きる力」「生きる原点」のようなものを感じ取ったような気がするんです。