カオハガン島(その3)
カオハガン島(その3) 2014年11月22日分
2時間の海中散歩
干潮の時には近くに見える島まで歩いていけるという。「ええ、こんなに深い海なのに・・・」「じゃあ、海中散歩の案内をお願いします」ということで、海の様子をうかがってサンダル履きで出かけた。
ひざ下くらいまで海に浸かって。透明度抜群! 全部見える。海のことを何でも知っている島民の方が連れていてくれた。(ずっと一緒だった通訳の若者のお兄さん)
われら一行4名と、島民2名の6名でカオハガン島を離れ、結構離れている隣の島までみんなで出かけた。
うに ヒトデ 熱帯魚・・・
「この真っ黒いトゲトゲはなあに?」
「これは、うにですよ。小さいですけれどおいしいですよ。食べますか」
「はい」
手際よく、上手にさばき、海水で洗って「どうぞ」と。
おいしい!!
砂の中から取り出して、「これおいしいんですよ、どうぞ」と。
見たこと・聞いたことがない生き物のようだけど、「はい」といただく。
何だかわからないけれどおいしい。
この海の名人は見えないものが見えるんだね。
色鮮やかなヒトデ、海草群に熱帯魚の群れ、見たことのない貝・・・
たくさんいたよ。
ずっとずっと歩いて、足が疲れるほど歩いて散歩を堪能した。
人間が暖かく仲がいい
この島のすごさはたくさんあるが、一番は感心しうらやましく思うのが、島民の皆さんが人間関係が濃く仲が良く、自然にかばいあい共同体として生活して生きていることだと思った。狭い島にたくさんの人間が住んでいるとプライバシーがなく、いざこざが絶えないのではないかと思うのは、浅はかかな。非常に素朴に他人を非難することなく、穏やかに互いに生きているように見えた。
ホームステイというオプションがあり、お泊りはしなかったが、夕食を島民の家でお願いすることになった。2組に分かれて別々な家の夕食を共にさせていただいた。電燈がなく、ろうそくの明かりの中で、島民のちょっと豪華な普通の夕書をいただいた。子どもも娘さんも私たちを珍しがって遠くから見ていて、ちょっとずつ近づいてきてくれる感じだった。
もう一軒の方は、親戚が20人ほど集まっての歓迎会(大宴会)だった。床に座りながらみんなでおしゃべりして・・・。親戚関係を紹介してくれるが、多くて覚えきれない。そのうち、若者がギターで歌を歌ってくれるという。何の歌なのかと思いきや、日本の歌で、尾崎豊の「I Love you」など日本語で歌ってくれた。それだけではなく、年配の方が島に昔から伝わっている歌も。これも素晴らしかった。
何か大事なこと
うまく表現できないのだが、カオハガンには大事な何かがたくさんある。文明が進歩することで忘れてしまうこと、経済的にうるうことで失っていくもの・・・。そういうことをいつも心配しながら生きているが、それがカオハガンでは島民の方の生きる姿がもろに何かを示してくれている気がする。人間社会にとって何が大事なのか?と。
生きる力がたくましい
そこにあるもので、工夫してきょうを生きる。というふうに表現すればいいのだろうか。「あれがないから・・できない」ということがないような生き方、それも生き物としての自分の勘や知恵を頼りに生きる力がたくましく、素晴らしく思えた。
何が素晴らしいかって、顔つき・表情が生き生きしているんですよ。目が曇っていないんですよ。