フィリピンで出会った日本人

フィリピンで出会った日本人        11月15日分

 フィリピンに8日間行ってきました。目的は取材です。10月5日のブログに書いた「フィリピン人の介護職が日本で就労することについて」現地で取材してきました。日本の介護の現場では、あるいは日本で介護を受ける可能性がある市民は、この問題について関心はありつつも、実感を持ってきちんと発言していないようにも見受けられます。要するに当事者(いっしょに働く・介護を受ける)の声が聞こえないのです。私は、そのことについてきちんと考え、意見を発言しなければいけないと思っています。それも日本側の事情だけではなく、フィリピン人の側の事情もきちんと理解する必要があると思ったのです。現地に行き、たくさんの多様な立場のフィリピン人・日本人に会ってきました。(60~70人) 介護の大学で1時間半講義をさせていただく機会も得られ、学生とたっぷり討論もしてきました。“大いに収穫あり”です。
このことについては、近々、いくつかの雑誌に詳しく連載する予定ですので、そちらをご覧ください。またお知らせします。
ここでは、たくさん出会ったフィリピンで暮らす日本人の方(印象深い)についてお伝えします。個人情報保護法があるので、一応仮名にします。(いつでも紹介しますので、興味ある方は一報ください)

タガログ語・ビサヤ語ペラペラの貴重な存在の高田さん
 20数年前からマニラに住んでいる高田さん(40代後半、女性)。仕事はというと表現が難しい。フィリピンで使われているいくつかの現地の言葉を使いこなせる貴重な方。通訳はもちろん、主に日本のテレビやマスコミの取材のコーデイネーターをしている。夫は、フィリピン人で政府官僚(副大臣)。
ちょうど、NHKクローズアップ現代の撮影直前で、その取材にセブ島で2日間同行させていただいた。退職後温暖な東南アジアに住む日本人が増えているというが、詐欺にあう事件が起きている。その取材だった。被害にあわれた方や関係者などたくさんの方に会った。あの事件はフィリピン人が詐欺をしたのではなく、日本人が日本人をだました事件。フィリピンが舞台になったということ。移住問題の複雑さ・問題点などが少しは見えた。
この方はとにかくすごい人! そのバイタリテーと迫力が・・・。同行中、私にフィリピンのことについてなかなか聞けない話をたくさん話してくださった。そしてマニラでは、フィリピンの普通のサラリーマンが住むというアパートのようなところに住んでいらっしゃるご自宅に私を泊めてくださった。なかなかできない経験だった。実家の北海道とマニラを往復する日々だそうだ。知る人ぞ知る高田さん。

豪華リゾート地に移り住んでいる大垣さん
 “貧困だというフィリピンにこういうところがあるんだ”と驚くような別世界の一画。フィリピンの会社が作ったリゾート地。きれいな海岸線に1000戸ほどの豪邸が立ち並ぶ。まだ空き地があったが完売だそうで空きを待っている人が多いと。テニスコートやプールも集まる場所もある。住んでいる人はどんな人だろう? 散歩をしながら庭で花の手入れをしている見知らぬ方に声をかけてみたら、にこにこと「長い間アメリカに住み働いてきたんだが、そろそろフィリピンに戻ろうと思いかえってきた。お茶でもどうですか」と気さくに話してくださった。60歳くらいの男性で息子さんといっしょだった。外国人もかなり住んでいるし、フィリピン人のお金持ちも多いと。(一区画、300万円程度、ただし、日本人は買えません)
そこに何人かの日本人が住んでいる。50代後半の大垣さんもその一人。北千住で働いたこともあるとのことで話が弾んだ。50歳を過ぎたころ、仕事がうまくいかず、どうせ暮らすなら日本ではないところでと移り住んだという。「こんないいところはないですよ」と生活ぶりを話してくださった。日本では見られない花や木を愛で、時に町の人たちのスポーツクラブに出かけいっしょに過ごし、のんびりと暮らしていると。

新日系人問題に取り組む岡さん(本名)
 セブに住んでいらっしゃる岡さん(80歳、男性)。前回紹介した戦後の日系人問題のことは一応知っていたが、「新日系人」の問題についてははじめて知った。新日系人問題とは、私の理解の範囲では以上のようなこと。1980年ころからのことで日本人の男性とフィリピン人女性の間に生まれた子ども(5歳から15歳くらいまでの子どもたちが最も課題)の問題である。大きくは二つの群。エンターテーナー(ダンサー)として日本に来て、そこで知り合った男性と結婚し(あるいはそういう約束で)できた子どもたち。もう一つの群は、俗称「売春ツア」など呼ばれた日本人男性がフィリピンに旅行に行きそこで夜をともにした女性との間に生まれた子どもたち。強調していたのは、フィリピンの女性は、一晩で行きずりで子どもは作らない。(避妊すると)愛し合ってそして将来のことを約束してはじめて子供を作ると。(カソリックの国で離婚できない) 訳があってその後いっしょに暮らすことができず、女性がフィリピンで一人で育てているが、それでなくても仕事がないフィリピンで非常に苦労していると。数が多いわけではないがストリートチルドレンにならざるを得ない子どももいると。新日系人は推定で40万人いると!
日本国籍を持つその子どもたち(荘でない子どもも)を救う道がないかと『新日系人ネットワーク』という非営利法人を作り奮闘しているのが林さんだ。林さんはこういう「日本国籍がある人は、たぶん4分の1くらいかな。国籍をはっきりさせるために日本の父親を探し認知してもらうことや、その子どもたちの日本での職場を探し自分で食べていけるように支援したり、様々なことをやっている。日本国籍を持つ子どもたちは日本で暮らすことはできるが、その母親はビザが降りない。だから、せめて母親を子どもの付き添いということでビザがおり、仕事をして子どもたちに教育をさせる機会を保障したい。今、日本の外務省や総務省と交渉中だ。その働く場所として、『介護助手』などという仕事はどうですか。みんなよく働くしやさしいよ。とにかく、理由はわからないんだけれど、その子どもたちが9割は賢いんだよ。頭がいいんだ。評判なんだよ」などと話してくださった。
深く考えなければならない課題に遭遇したと自覚しました。

ダバオで会社を作り、お父様の介護をしている中西さん(60代前半)
 定年を機に、息子に会社を譲り、ミンダナオ島ダバオに移り住み、会社を興し150人を雇用している中西さん。廊下続きの3軒の家(子ども家族の分)(豪邸)に住み、家の中だけで3人のメイドさん、外用にも何人かの使用人がいる。90歳で要介護のお父さまも移り住んだ。お父様に「ダバオの暮らしはいかがですか」。答え「気候が温暖で一定していて、人もよくいいところですよ。日本のテレビ番組も見られるし、いうことありません」と。歩行器で歩いてこられて話してくださった。
中西さんはこういう。「日本人はもっと海外でも貢献すべきだ。要介護になる前にフィリピンに来て持っている力でフィリピンに貢献する。そして日本にフィリピン人を連れていくのではなく、フィリピンに家や施設を作り、日本人を連れてくるという逆の発想をしてはどうか。なんせ、一番安いのが人件費だし、フィリピンの人のホスピタリテイは世界中で定評がある。とてもよく介護をしてくれるよ。少ない年金で暮らし介護を受けるなら、フィリピンという国で暮らすのもいいと思うよ」と。

 まだまだ紹介したいのですが、今日はここまで。私は何が悪かったのか、到着直後から顔の皮膚が荒れて痛痒く、目の周囲が腫れ上がり、悲惨な顔になってしまいました。(どの写真も別人のよう) 6日間の日程の9割は人に会うこと。観光は残念ながら1割でした。その観光は、お願いして「スラム」に連れて行っていただきました。ショック! 詳しくは次回。

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  1. みんな の プロフィール より:

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