“人生いろいろ”というけれど・・・
“人生いろいろ”というけれど・・・ 10月25日
島倉千代子が、♪♪人生いろいろ、男もいろいろ・・・♪♪と歌います。彼女も膨大な借金を抱えたり、がんになったりと彼女自身の人生そのものをあらわす歌だとテレビでいっていました。頭では『人間みんな、人生様々よ』とわかるような気がするのですが、つい最近、そう簡単にわかるものではないとつくづく思いました。
それは、この秋から全国の要介護の方のお宅を訪問し勉強しているのです。“原点は現場にあり”です。私の友人の川越博美さん(聖路加看護大学臨床教授・厚生労働省『2015年高齢者介護』検討委員・在宅ホスピス協会会長)と二人で押しかけの全国行脚を行っているのです。「訪問看護・来た道、行く道」と題した講演をさせていただき、現場の職員の方とたっぷり交流し意見を聞き、そして実際のケアマネや訪問看護師に同行訪問させていただく企画です。なるべく困っているケース・困難事例を訪問したいという私たちのわがままを受け入れてくださり、たくさんの方を訪問させていただいています。(看護系雑誌に連載予定です) この企画だけではなく、私は機会あるごとに困難事例という方々を訪問しているところです。
トイレにこもりきりの生活・・
一人暮らしの77歳の女性。ダム作りの現場で、飯場で泊り込みでおいしい食事を作ったりと様々な仕事をしてきた人生。腰が曲がりやっと歩ける状態で家でがんばっている。困ることの一つは、直腸が肛門からはみ出てくること(脱肛)。手のひらいっぱいの真っ赤な柔らかい腸が股間をふさぐ。手術できないと診断され、それと付き合う人生。トイレで自分の手で直腸を肛門の中に押し込むときれいに収まる。ところが困ったことにこの方は“清潔潔癖症”。清潔観念が独特で本人もそれを自覚しているが、子どものころからでいまさら治らないという。立ってその手を時間をかけてじっくり洗っている間に、また直腸が出てきてしまう(落ちてきてしまう)。毎日これを繰り返しているというのだ。時にひどいときには3日間、トイレから出られず、トイレに座ったまま眠り、その間は食事もとれないというのである。「この夏は暑かったでしょう。それでもトイレにいたんですか?」「そうだよ。仕方ないだろう」。クーラーがないこのお宅でどんなふうに過ごしていたんだろうと思うだけで胸が痛くなる。そのために、足の血液循環が悪く、ひどく浮腫み傷ができているが治らない。
周囲の人(医師・看護師・ケアマネ・ヘルパー・ご近所)のアドバイス・支援をなかなか受け入れない。傍目には、「変わった人」「頑固な人」と思われるような人。この方を何とかトイレから出て普通に暮らせるようにするための支援方法をいっしょに考えてくれという依頼だった。
それはそれとして、長い人生の比較的最後の時期を、トイレにこもりきりの人生か・・・。それを本人はどう思っているのだろう? これからどうしたいと思っているのだろう? 冗談交じりでいろいろおしゃべりした。
私は、この方を大好きになった。自分の意見・考えをはっきりといえる。何といっても顔が生きている!
私は、思いつく限りの提案を本人と支援者のみなさんに伝えた。この方の生活・生き方の支援は、一様ではない。もちろんサービスも必要、行政の支援も必要、医療や介護のプロの支援も。
何がどう変わるか・変わらないかわからないが、私にとっては勉強になった。見かけ上のことに左右されず、本人の世界にいっしょに入り、そして白紙から考えていくことの重要性を。
一日、8時間家の中を歩き通し・・・
63歳の男性(奥様と二人暮し)。インテリの方。若くて脳梗塞を何度が患い、奇跡的に自分の力でやっと歩けるところまで回復した。今の彼の生活は、一日中歩くことである。左手で杖を持ち、不安定な姿勢で腰を曲げて、家の茶の間を一日中往復して歩いている。疲れようが足が動かなかろうが歩く。食事やおやつは時に立ったままで、時間を惜しむように歩き始める。もう足が出なくなると、「寝かせてくれ!」と横になる。が、また歩く。一日ゆうに8時間は歩く。このところ転んで危ない。
妻も支援者たちも、歩くのはいいが何とか休みながら歩けないか、転ばないようにするにはどうするか、また妻がどこにも出かけられず精神的にもまいってきたので今後どうするか、と困っている。デイサービスなど一度利用したが、本人は断固としていきたくないと拒否。
“家の中の4mを一点を見つめて往復する人生か・・・”。本人にいろいろ話しかけても「YES・NO」を首で反応するだけ。わかっていて返事をしないのか、わからないのかの判断も難しい状態だという。「どうして歩くことにこだわるのですか」「どうも、どこかで“歩かないと寝たきりになる”と教えられたらしくて、それが頭から離れないみたい」
医師も看護師も福祉職も一生懸命かかわってきて、今この状態。決して支援が悪いからこうなっているわけでもない。しかし、疲れきって休みたいのに横になれず、転ぶまで歩かなければならないこの状況・・・。
人生いろいろとはいうけれど・・・。病気や障害を持ち、あるいは独特の個性を持っていることで、思いもよらない生活・人生を送ることになる。それがいいとか悪いとかは本人がどう思っているかが重要。周囲のもの、あるいは自分自身の価値基準で判断して思い込んでしまってはいけないことは確か。
医療職や介護職は、そういう生活・人生にどうかかわればいいのかは単純ではない。単純化・標準化でかかわるような方向で教育され、そういう方向で制度化されそうな動きをみて複雑な気持ちになってしまう。
私にとっては、生き生きとした“生きている顔”が、宝物である。