何を『食』する?
何を『食』する? 4月25日分
先日、トマトを6個いただきました。トマトをあまり好まない我家の家族、そして今月はじめに同居家族が一人減り、夫婦2人暮らしになって、“このトマトを6個も食べられないだろうなあ。捨てるのはもったいないなあ。どうしようかなあ”と思っていました。ところが、このトマトがあっという間になくなったのです! どうしてか? すご~くおいしかったのです! マヨネーズもドレッシングも何もつけず(サラダは我家はいつもそうです。時にオリーブオイルと独特の塩だけ)に!
トマトをみると、思い出すことがあります。
『食べる』とは、生きる力をいただくこと
友人のAさんが40歳くらいで、脱サラし、田舎に土地を買い、自分と大工さんで手作りの家を建て、鶏を飼い、周囲の荒地に作物を作り始めたのです。最初の何年かは、ほとんど作物が獲れませんでした。
「家の中に、天井からぶら下がったブランコがある」「2階に上がるのに階段がなく、ロープ登りをしないと上がれない。それができない人は2階に上がれない」など、変わった家だからみんなで遊びに行こうと、Aさん家に友人たちが子どもたちを連れて遊びにいきました。子どもたちは不思議な家に感動です!
遊んだ後、「さあ、おやつだよ」と出てきたのが、トマトなのです。ちいさく不恰好なトマトでお世辞にも立派ではありませんでした。子どもたちがいっせいに「いただきます!」。 そしてみんな、顔を見合わせて「おもしろい味だね。これ本当にトマト。ちょっと青臭い?」などとおしゃべりしながら食べているのです。私もいただきました。それが、表現が難しい味だったのです。決して甘くない・・・。
Aさんが、子どもたちにこういいました。
「みんな、このトマトの何を食べてると思う? カロリーか? 栄養か? 違うんだよ。 スーパーで売っているトマトとこのトマトは何が違う? スーパーで売っているのは、温室の中で栄養を与えられ、見かけよく作られるんだ。でもこのトマトは、荒れたここの土の中から芽を出し、たいした栄養も与えられずに、条件が悪い中でも一生懸命生きよう・大きくなろうとたくましく自分の力で大きくなったものなんだ。太陽の光を直接浴びて、虫に食われながらも。
俺たち人間は、この一生懸命生きようとする力をいただくんだよ。その力を食べさせていただくんだよ。見かけやカロリーではないんだよ。生かされて受身の育ち方の食材ではダメなんだよ。自分の力でたくましく生きる・育つ力。だから俺たちも元気にたくましくなるんじゃないかな。
高い山に登ると、何も生えていない岩山の陰の方に、小さな高山植物がへばりつきながら花をつけているよ。生き物にはどんなに悪条件のところでも生きようとする力があるし、その力が強いものは美しいんだよ」
いい話だなあ。私も全く同感。私はそれ以降、食材を見ると「生きる力がどれだけあるかな」と気にしてしまうようになりました。そういう目で見ると山菜はすごい!
『食』は、カロリーではなく、生命体数で
変わった友人ばかり登場。居酒屋でおさしみの盛り合わせや大根とちりめんじゃこのサラダ、から揚げなどをつまみに飲んでいたら、その中の一人の友人が話し始めた。
「このマグロのさしみの1切と、このちりめんじゃこ(手のひらいっぱい)では、何が同じで何が違うと思う?」
「カロリーは同じくらいだろうな。栄養価はどちらもたんぱく質だな。ミネラルはじゃこの方が多いんじゃないかな。味もおいしさもずいぶん違うよ」
「あのね。だから、ダメなんだよ。僕は現代の栄養学は間違っているんじゃないかと思っているんだよ。ダイエットでカロリー制限しても痩せないだろう。熱量・カロリー中心の考え方ではダメなんだよ。
このマグロとじゃこはカロリーは似たようなものかもしれない。しかし、生命体の数を考えてごらん。マグロは1匹でたとえば500kg。500kgで一つの生命体だ。1切は100gもないけど、仮にそうすると、5000分の1の生命体でしかない。ちりめんじゃこは、100gだとたとえば100匹とすれば、100の生命体ということだ。同じカロリーでも生命体の数がこれだけ違う。
一つの生命体は、いくら小さくても一つの命が生きていくいために必要な要素を全部備えている。その食材の一部を食するのではなく、魚ならなら頭から尾まで、野菜なら根っこも皮も茎ももちろん葉っぱも、生命体丸ごと食べること、そしてそれを1日どれだけの生命体数を食するが実は大切なのではないかと思っている。
この考えをもとにした食生活に切り替えて、体質が変わった人やもちろん痩せた人、おもしろいのは、太陽とともに目が覚めるようになったとか、いろいろあるんだよ」
この考えにも私は全く同感!!
殺虫剤入り餃子事件以来、「食材」について、見かけではなく、見えないものを見よう・知ろう・何とかしなければという動きが目立ってきました。「安全性」ももちろんですが、何を『食』するのかも一度考えて見てはどうでしょうか!