友人の急死

友人の急死・・・   6月25日分

 先日、30数年前・学生時代からの友人(男性)が急死しました。55歳、某大学経済学部教授・学部長。急死の原因は、大動脈乖離。石原裕次郎と同じ病気。お通夜に行ってきました。

信じられない“死” 寂しい・・・ 
 友人が白血病になったり、がんが発見されたり、脳卒中になったりと異変が起きています。そういう年齢になったということなのかもしれません。先日死亡した経済学部教授の彼は(Aさんとしましょう)は全くその兆候がなく突然、あの世にいってしまったようです。血圧は高かったようですが、学生への講義終了後、壇上でその場に倒れ、そのまま心臓が止まったとのこと。大動脈乖離という難しい病気です。
 Aさんとは、古い付き合いでした。太い眉毛に独特な眼。いつも粋にカッコをつけニコニコしている人でした。『ワカは、全く元気がいいね。ワカの看護・社会保障の分野と僕の経済の分野は遠いようで実はとても近い関係なんだよ』と、学生の頃から私に教えてくれた。私の学生時代の愛称は『ワカ』。学部関係なく、みんなが昔から、今でも『ワカ』と呼んでくれる。
 最後に会ったのは、共通の友人の人生2度目の結婚式。同窓会のように集まった50歳代同士の結婚式は盛り上がった。ジェームス三木さんが主賓のあいさつ。それも3言で終わり。「一度目の結婚は、『判断力の欠如』、2度目の結婚は『忍耐力の欠如』、3度目の結婚は『記憶力の欠如』ですよ。頑張ってください」と自らの経験談も含めて話された。
 Aさんとは久しぶりに会ったが、妙に太っていた。「Aさん、メタボじゃない。Aさんといえば、私のイメージはスマートなかっこいい人。どうしたの」「そうなんだよ。太っちゃってね。いろいろストレスも多いんだよ。そのうち、痩せるよ」とにこにこしていたのでした。
 そんなに親しくたっぷりと話し込んだわけではないAさん。しかし、亡くなったということを聞いて心の深くに引っかかりができたようでした。何となく気になり、ふと顔が眼に浮かび、「いないのか~」「亡くなったのか~」と。こうやって大事な友人たちがいなくなるのか・・・。寂しいなあ。
 
今、死ぬとすれば、人生の満足度は何点?
 お通夜に駆けつけた学生時代の友人は10人くらい。終了後、みんなで食事をしながら“追悼”といいたいところだが、雑談に花が咲いた。集まったのは、弁護士・教職・公務員・芸術家・主婦・・・。
「いつ死ぬかわからないね。Aみたいにあっという間に死ぬね」
「いつ死んでもいい覚悟と準備はできているの」
「覚悟はできているけど、準備はできていない」
「もし、Aさんみたいに、55歳で死なざるをえないとすれば、これまでの人生に何点つけるかね」
「僕は、85点。いつ死んでも悪くないけど、まだ遣り残していることがあるから、その分のマイナスだな。定年前に仕事を辞めて早めにやりたいことをやってしまおうかな」
「私は、95点。ほとんど悔いなし。いつ死んでもOK」
「自分は、まだ死ねない。病気をしてやりたいことをほとんどできない人生だった。50歳代後半から大学院に入り勉強しなおしたいと思っている」
「ヘイ。僕は考えたことがないなあ」
しんみりするわけではなく、Aさんの死をきっかけに自分たちの死に方・死までの生き方についての大論議になった。こんな会話が大好きだったAさんだから許してくれるだろう。

友人は宝物
 「次は自分かもしれない。自分の時には、おまえ、葬儀委員長になってくれよな」などと話は飛んでいった。今は、肩書きも偉そうになった面々だが、会ってみると昔ながらの青年のまま。言いたいことを言い合える仲間はありがたい存在です。
 私は、看護学校だったのですが、たまたま大学医学部付属看護学校ということで、他学部(経済学部・法学部・教育学部・工学部・農学部・文学部・・・)のみなさんと仲良く学生活を送ることができ、今でも看護学生の友人よりも他学部の学生だった人たちとの方が会う頻度も親密度も深い実態です。社会保障の分野を担う一人としてみなさんと対等に日本の将来について議論できる関係がとてもうれしいのです。
 何が財産かといえば、私の場合はお金や地位ではなく、“友人たちが宝物”です。
宝物が減るのは、なんともいいようのない寂しさです。