大学で講義
大学で講義 2014年8月15日分
看護大学で講義することはときどきあるのですが、今回は名門私立大学の商学部の学生に講義をする機会がありました。オムニバス講義ということで、全く関係ない分野で「高齢者介護」に関する講義を入れてくれたようです。私のテーマは、2コマで二つ。
「地域で支える認知症の人の生きること支援」
「超高齢社会の“介護”ではない“介護”の実践とあり方」
表現しない・・・
若くて自分にはほとんど関係ないと思う「介護・看護」という地味なこの講義を聞きに来てくれるのですから、まずはうれしいです。認知症の歴史の話で手足を縛られていた時代の写真やら雑魚浴(男女一緒に入浴させられている場面)の写真やらをもとにしながら、現在の日本での状況について話し、いっしょに関に考えられたらと思いました。また、がん末期の方への訪問看護や、身体障害で引きこもり状態になっている高齢者に働くかけをしたら前向きでいい顔で長生きできた話など実例でお話しさせていただきました。
さて、学生の反応は? 食い入るように聞いてくれる学生、うなずきながら聞く学生もいてほっとしました。居眠りをしている学生はほとんどいなくそれはよかった。しかし、下を見ている学生が多いんです。配布資料には写真は載せていないので、「さあ、この方のお話をしますので、写真を見てください」といっても、なかなか視線を上げないのです。見ていないのか、聞いていないのかというとどうでもないようなのです。ちらっ、ちらっと見てるような・・・。
どうしてなのだろう? 私の講義が下手なのだろうか?
興味がないならないでいい。おもしろいのか、つまらないから寝るのか、もう少し表現してくれるとわかりやすいなあ。
レポートはすばらしい
レポートを採点(評価)するというところまでが仕事だったので、読ませていただきました。すばらしいレポートばかり。「ええっ、ちゃんと聞いてくれていたのね」「こんなにきちんと考えて下さったんだ」「さすが感性がいいなあ」だったら、そういう表情を見たかったなあ。
レポートの主な内容は、「自分の身内に認知症の人がいて、そのことと今回の講義を結び付けて論じた人」、「認知症になった人を誤解していた。気が付かないうちに別人間ととらえてしまっていたようだ。世の中にはそういう人が多いと思う。大きな宿題をもらった」「何でもやってあげるやり方ではだめだということがわかった。よくよく考えればそうだと思う」「介護では医療では治せないものを治せる力があるということに驚いた」などなど、私の講義を自分なりに受け止めて、そして素直に言葉で表現してくれていると思った。一部、ネットから情報を取り入れてつなげたようなレポートもあったが、総じて熱心に向き合って考えてくれたようだった。
勉強になった
いつも講演は、私の講演を聞きたくてわざわざ集まってくれる人なので熱心に聞いてくださる方が多い。しかし大学の講義はある程度“受けなければならない”という受け身なので、その反応にいつも戸惑う。「何だかよくわからないが、熱を入れて一生けん命にしゃべるおばさん看護師」て思われたのかなあ・・・。まあ、仕方ないか・・・。