夫婦の形

夫婦の形         4月5日分

 全国の現場の取材を続けていると、看護・介護に関係なく社会のさまざまなことに出会います。
 ここ数日でお会いした方々をご紹介します。

■バツイチ同士の脱サラ同志
 埼玉県にお住まいの60代半ばのご主人と50代半ばの奥様のご夫婦。二人ともコンピューター関連会社のキャリア。ご主人の方は50歳で人生の軌道修正を行い、たくさんの退職金をもらって退職、離婚。介護の仕事をしようと模索し、グループホーム作りに行き着き、介護保険スタート前にオープンした。その家などの物件を全国探し回り、埼玉県のその地に落ち着いた。
 今の奥さんは、離婚後一人で子どもを育てていたが、彼と知り合いその夢をいっしょに叶えようと仕事をやめて同志のような存在としていっしょにいる。「彼のアイデアと熱意はすごいのよ」といい、「この人はね」とお互いを私たちに話してくれる。「おまえ」とか「あなた」とか、一般的に夫婦が呼び合うのではない。馴れ合いの身内という印象ではなく、一人の人格を尊重しあった関係のように見えた。
 認知症対応グループホームや認知症デイサービス、小規模多機能サービス、訪問看護ステーションなどの事業を里山の美しいところで実施している。

■通い同棲・介護
 大阪で出会った人。訪問看護師さんに同行させていただいた60代前半の一人暮らしの男性。二回の脳卒中を患い、その上アミトロ(筋萎縮性側索硬化症・ALS)という神経難病にも襲われている方。ベッドに寝たきりの状態。利用しているサービスは、訪問診療(医師)、訪問看護、入浴サービスだけだという。ヘルパー訪問は必要ないという。
「えっ、どうしてヘルパーさんが必要ないんですか? 食事は誰が作っているんですか? 洗濯は誰がするんですか」
「近くに住んでいる知人の方が、毎日仕事帰りに訪問してやってくれているんです」
「へえい、そうなんですか・・・」
そういって、実際にご自宅を訪問しました。そして、枕元においてある手作りのサンドイッチとかぼちゃの煮物の盛り付けをみて察しがつきました。“きっと知人というのは彼女ではないかしら???”と。そして初めてお会いしたその方に、失礼と思いつつ、聞いてみました。
「○○さん、毎日きてくださるお知り合いの方って、もしかして彼女じゃないですか?」
すると、それまでと違った表情で、にっこりして、しかし言語障害でやっとの発語で
「そ・う・だ・よ」
「やっぱり! ところで病気をしてからお知り合いになられた方ですか」
「いいや、元気なころの・・・15年ぐらい前からかな」
 空きペットボトルを工夫した花瓶にさくらの花が飾ってあり、しわがなくピッとのばされた洗濯物、整理整頓されている部屋の中、彼女という人が見えるようです。聞けば、彼女には別な家庭があるが、毎日夕方訪問し、夕飯と翌日の朝食・昼食を作っておいていってくれ、ペットボトル変形の尿瓶の尿を捨て、そしてこまごまとしたことを行って20時ごろ帰るといいます。
 60歳代前半という若さで病気のために動けず、気持ちが落ち込み、死にたいと思い続けた時に支えてくれたのが彼女のようです。15年間の二人の関係がどんなものだったのかは知りませんが、少し前向きにやってみようかとやっとそういう気になってきたという彼を見て、他人にはわからない、見かけや常識では測れない、人と人との関係性の不思議・強さを感じました。

 籍をいれているかどうかとか、一緒に住んでいるかどうかとか、仲良さそうにしているとか、いつもけんかをしているとか、そういう見かけや形ではない関係性と生きる力について考えさせられました。