映画人
映画人 7月25日分
自分の人生にとって何が大事かって? 個々人大事なものは違うでしょう。 私の場合は、月並みかもしれませんが『家族と友人』。「ええっ、違うでしょう。仕事でしょう」「お金がなくては、ボロボロよ」などと、私のこれまでの生活を見てきた人たちからは反論がきそうだ。仕事もお金も大事だけれど、でも、やっぱり宝物は、『家族と友人』。
家族はけんかもするけれど、よくおしゃべりし、行動を共にする楽しい家族だと私は思っている。新しい家族を作ってから早30年。超多忙な毎日ながらよくぞこんなに遊びに行ったというほどアウトドアも芸術も旅行も出かけたし、家族を大事にしあってきた。今年の夏も新天地への家族旅行。
子どもたちと同居はしていないが、「山菜が届いたから山菜パーテイ」「とびきりおいしいアスパラガスが届いたから・・・」「幻の焼酎をいただいたから・・・」「誕生日だから・・・」「いとこが上京するから・・・」「台湾から友人が来るから・・・」「海外ボランテイアから帰ったから・・・」「一人旅報告・・・」などと何かと集まることを楽しみにしている。そういう時は、腕をふるってご馳走を作るのが私の役割であり最大級の喜び。
しかし、この動きができる鍵は、実は私ではなく、『My husband』。
友人
「100人の友人よりも、1人の親友」とよくいわれるが、多分、真実だろう。友人は『数』ではなく『質』だということ。一生涯で親友といえる人を作れるかどうか。
親友も大事だが、親友か友人かわからないが、何かのときに駆けつけてくれる、あるいは駆けつけられる『人』を私はとても大事にしている。電話の声の調子で、“すぐ会わなければ”と直感する人、あるいは何も用事はないんだけれど、“会って他愛もないおしゃべりをしたいなあ”と思う人、結果的に10年に一度しか会わないのに、いつも隣にいるように思う人・・・。そんな友人たちを私はこよなく愛しいと思っている。そんな人たちが他業界・他分野の方々が多いんです。それが私の価値観形成・人生観考案・社会的活動のもとになっているようにも思う。
映画人
その1人を紹介。映画人の中橋真紀人氏。正確な肩書きは、雑誌によれば『映画制作・配給者』。私が、中橋氏の正確な仕事の内容や偉力を紹介することは難しい。よくわかっていないから。ただ、30数年間、映画と向き合い、売れる映画ではなく、観たい・観せたい・観せなければならない映画作りに取り組んできている人生に、私は感服する。映画好きな私は、中橋氏が制作した映画をそうとはしらず何本も観てきた。私流表現「中橋制作映画」で、一番最近観た映画は『ふるさとをください』。精神に障がいをもつ人たちが病院・施設ではなく、地域の中でいっしょに暮らしていこうとさまざまな試みをする。そう簡単には地域住民の理解を得られず、町の人たちと格闘しながら理解しあっていくというような内容。長い間、精神障がい者は、差別視され、閉じ込められ人権という名の外におかれてきた。それが、“そんなことはない。同じ人間。弱いところはあるけれど、誰だってどこかに弱いところがある。地域の中で普通に暮らしあっていくことを実現しよう”と、和歌山県で実際に取り組まれたものを映画にしている。
私は、この映画を見た時に、涙がこぼれた。看護師として社会人として生きてきたが、最も社会的な偏見をもたれる精神に障がいを持った方々がこんなに自らの力を発揮して生き、社会に表現・主張しているのだとうれしく思う反面、そういう動きを知らないで何もできずにいる自分に不甲斐なさを感じるのだ。
中橋氏は、視覚障がい者、聴覚障がい者、など種々の障がいを持っている方が生きていくことをたくさん映画にしてきたようだ。また、そういう映画を自主上映の形で全国に普及してきた。
中橋氏が、『ノーマライゼーション』5月号(財団法人日本障害者リハビリテーション協会)に、投稿している。病気や障害を持ちながら生きる方を取り上げた世界中の映画200数十点を紹介しながら論評している。こんなことをできる人は、日本に何人いるのだろうか・・・。
膨大な世界中の映画(日本で公開されないものも含めて)に接し、また、自ら世に必要だと思う映画を制作し発信していることに、拍手(パチパチ)!!
この力と医療・看護・介護の世界とがコラボネートできないものかと私は考えている。「雑誌に、映画紹介を書きましょうよ」「映画で学ぶ看護―神経難病編―」「映画で学ぶ介護―認知症編―」・・・多様に、多様に!
時々、お酒を飲みながら、人生を語るひと時がなんとRICHな時間か。別な世界の人間同士ではなく、『今』をいっしょに生きる人間同士。
こういう友人を誇りに思う。