朝顔
朝顔 7月5日分
今朝もわが家の朝顔が見事に咲きました。今年は3鉢(3種類)です。オーシャンブルーや桔梗やムコウなど変わった朝顔です。7月6日~8日まで東京入谷の鬼子母神で朝顔市が催されていて、出かけて楽しんできました。この20数年、夏は毎朝、朝顔に出会います。「おはよう、今朝もきれいに咲いたね・・・」
ところが今年の朝顔はいつもと違って見えます。それは・・・
文学老婦人
私が毎年朝顔を見ることができたのは、実はある人のおかげです。それは、吉田生緒(いくお)さんが毎年送ってくださったのです。生緒さんと最初に出会ったのは、昭和53年(1978)で32年も前です。私は訪問看護を始めたばかりでした。ある日依頼があり訪問したら、80歳代の女性(生緒さんの母、静代さん)が1階の窓から転げ落ちて動けなく、トイレにもいけなくて困っているということでした。小さな身体の生緒さんと2人暮らしでした。入院はせず家で療養を続けたのですが、もともと要介護の方でそれから長い付き合いになったのでした。
吉田静代さんというのは文学者でした。もともと、東京銀座のハイカラ開業医の一人娘で優雅に育ち、幼年期はばあやの家である本所で暮らしていたという方です。文学にはまり文学青年と恋に落ち・・・それからの人生は波乱万丈なのですがそんなことを全然気にせず、おおらかに笑って生きてきたようでした。会話に出てくるのは、平塚雷鳥や など有名方々でした。静代さんも何冊も本を出版していました。静代さんは102歳であの世に逝かれました。
さて静代さんの娘さんの生緒さんは未熟児・仮死状態で生まれ、生きないだろうとあきらめていたら、呼吸をしだしたので生命力があるのだろうと世話をしだしたといいます。小柄でお人よしでお母様を大事にし、一生懸命生きている人でした。生緒さんも文章を書くのがとてもお上手な方でした。
その親子が、私のことをとても気に入ってくれ、当時の私を「桃の花のつぼみのような女性で、家に来るだけで周囲が明るくなりました。その方のおかげで助かったのです」と雑誌に書いてくれるのでした。私の出産のたびに車椅子で病院までお祝いに来てくれ、いっしょに子どもの成長を喜んでくれたほどです。仕事上での関係から個人的な関係になり、30年余もお付き合いさせていただいた方なのです。
静代さんがなくなられてからは、生緒さんも高齢になり要介護状態になり、後輩の看護師が訪問看護に伺ったりしていたのです。
その生緒さんが、毎年欠かさず7月7日に私に届けてくれたのが、朝顔なのです。だから朝顔を見ると吉田親子のことを思い出します。明治・大正・昭和を生き抜き、くよくよせず、時代をもてあそぶような(いい意味で)底抜けに明るく飄々と生きてこられた方々でした。その生き方にとても学ぶことが多かったです。
生緒さんの死 一つの時代の終わり
その生緒さんが今年春に亡くなられたのです。生きているうちにお別れの言葉をいうことができず、通夜も葬式せず、献体の意思を貫き通しました。生緒さんが亡くなられて一つの時代が終わったなあとつくづく感じ入り、私自身も人生を顧みて自分を見つめなおしているところです。時代の変化と、自分自身の役割の変化をどうフィットさせていくか。
忙しい日々を送りながら、朝顔を見ながら、ふと我に返り「さて・・・・」と考えたりしているところです。
ひっそりあの世にいかれた生緒さん・・・合掌