東日本大震災 その19 こんなことで死ぬのは悔しい!

東日本大震災 その19 こんなことで死ぬのは悔しい! 6月12日

 6月11日に石巻(宮城)、12日は宮古(岩手)で被災地の訪問看護ステーションのみなさんとお会いした。久々にみなさんにお会いしてうれしかった。
 今回は、全国訪問看護事業協会として、県訪問看護ステーション協議会の役員の方と主に津波の被災地域の現地のステーションのみなさんとの会合のための訪問。これまで近くの訪問看護ステーション同士でもなかなか情報の共有がしにくい状況だったので、お互いの状況を知ることから始まった。職員・利用者・事務所の被災状況、また地域がどうなっているかなどの3ヶ月たった実情の共有など。それに私たちは、厚生労働省の施策の具体化や、その地域の実情に合った何かに取り組むこと、それに対して全国組織としてどういう応援をするかなどと話し合いである。

私も津波に巻き込まれたんです
 このブログで津波にのまれて助かった石巻のひまわり訪問看護ステーションの所長の渡部峯子さんのことを書きました。ブログを読んでくださっている方からたくさんの反応がありました。今回、渡部さんに再会してなんとも言えず暖かい気持ちになりました。
 その会議でもう一人、「私も津波に巻き込まれたんです」という方がいました。渡部さんと同じ法人の矢本ひまわり訪問看護ステーションの所長の阿部まなみさんです。その時のようすをみんなでお聞きしました。

こんなことで死ぬのは悔しい!
 野蒜海岸の近くで訪問看護の移動中でした。地震があって逃げようと思って自動車で川(用水路)の脇の道路を走っていたが、車がいっぱいでこれはだめだと降りて走った。しかし、ゴウーというものすごい地響きで津波が押し寄せているのがわかった。サイレンなどは聞こえなく、聞こえるのは地響きといっしょの水の音と、瓦礫がきしむ・動く音だけ。不気味だった。あっというまに水が押し寄せ「もうだめだ・・・」と思った。これでもう死ぬのか・・・。しかし、「こんなことで死ぬのは悔しい!! と思ったんです!!」
 そこに高齢の方がお二人、ここにつかまってと近くの松ノ木に誘導してくれて、その木につかまってじっと耐えた。周囲が頭を越える波が襲っている中で、自分たちがいた場所は、偶然に流されてきた民家3軒で作られた空間で水が遮られ、腰くらいの高さまで浸かった状態だった。

見ず知らずの6人で瓦礫の中で一晩過ごす

 気がついてみたら、水は引いたが周囲は全部瓦礫の山。そこに見ず知らずの人が自分も含めて6人がいた。どこに移動することもできず夜になった。
「その6人で、どんな話をしたんですか」
「いろいろな話」
・ また津波がきたら、今度は死ぬだろうね。自分たちのことはいいから、若いあなたたちは真っ先に逃げなさい。
・ ここから生きて脱出する方法について。
・ おぼれかかったチャボを助けて一緒だったんだけれど、それがとても癒された。
・ そういう究極の場面でも、生理現象ってやつはあるんですよ。おしっこがしたくなったり、大きいほうも・・・。みんなで工夫してやりましたよ。何もない中で何でお尻を拭こうかと考えてね・・・。いろいろ考え付くものですよ。
・ 不思議な連帯感がありましたね。

星がきれいだった
 一人ではなかったから、過ごせたのかもしれない。星がとってもきれいだったんです。みんなで星を見ていました。

 阿部さんたちは、翌日、瓦礫の中から無事脱出した。「翌日から仕事をしましたよ」と。こんなスゴイ話を冗談や笑い交じりで話してくれる阿部さんは、ちょっとひょうきんで周囲をほっとさせてくれる魅力的な人。何といっても「こんなことで死ぬのは悔しい!」というその気持ちに拍手! キラキラ輝いてみえました。思わず、「いっしょに写真を撮らせてください」と言ってしまいました。しかし、悔しい!と思いながら命を落とされた方も多数いらしたでしょう。無念です。

 
            6月12日記