東日本大震災 その10 訪問したいのにできない複雑な事情
東日本大震災 その10 訪問したいのにできない複雑な事情 5月3日
訪問予定していなかったが、近隣の訪問看護ステーションから情報を聞き、原発から20km~30kmにある訪問看護ステーションの管理者に電話で連絡し、急遽会っていただくことになった。住民が避難しなければならない地域なので、母体の病院も入院患者を全員他に移し、休止状態。ステーションも休止状態で休業手当を支給してもらっているという。
やむなくボランテイアで訪問を始めた
事情は、次のようだった。
事務所は、原発から20kmから30kmにある。母体の病院も病棟は閉鎖し、外来を少し開いている程度。理事長からは病院なども全部休止するように言われ、訪問看護事業所としては休止している。
しかし、親戚や避難所に避難した住民が、時間が経つに連れて帰ってきている。帰ってきた住民は、「放射性物質に被爆してもいいので、自分の家で暮らしたい。自分はもう若くはないから。でも、若い人たちはそういうわけにはいかないから、帰ってくるなといっている。だから年寄りだけ帰ってきた」というのだそうだ。
その中には、要介護だった人が床ずれや病状が悪化したりして帰宅している人もいる。もともと訪問看護の対象だったかたから「帰ってきたからまた訪問してほしい」と依頼がある。また新しい利用者からの相談もあり迷っている。自宅に困っている利用者いるのに、事業所は休止しているから訪問にいくことができない。
それで、見るに見かねて仕事ではなくボランテイアで訪問を始めたという。
訪問看護をしてもらえるなら、自分たちも
ところが、遠い親戚に避難した利用者の家族から「自分だけでは介護できないが看護師さんが訪問してくれるなら自宅に戻りたい」といわれ、渋っている。自分がボランテイアで動くことで自宅帰宅促進になってしまい、そのことがあとあとその方々に大きな不利益になるかもしれない。どうしたらいいかわからない。役所に問い合わせてもはっきりと答えてくれないという。これは大きな問題である。
自分はいいが、若い看護師は・・・
訪問看護に限らず、訪問介護もデイサービスも事業をしてもいいのか、して悪いのかの判断に困ってしまう。この管理者さんは、こうもいう。
「自分は50歳代だから、多少の被爆を覚悟している。それでも出来ることを実施したい。でも他のスタッフにここでやれとはとてもいえない。若い訪問看護師たちもヘルパーたちも遠くに避難しているが戻って来いとはとても・・・。
町の人から
住民が帰ってきているので、店も少しだけ開けているところがあって魚なども手に入るようになってきた。すると地域住民が「看護師さん、町の人は帰ってきて動き始めているんだから、遊んでないで訪問してほしい」と。
自分もふらふらしているのがつらい。出来るなら訪問したいがどうすればいいかわからない。 とても深刻な状況に見えた。
5月3日記