東日本大震災 その13 訪問用ユニホームが

東日本大震災 その13 訪問用ユニホームが 5月15日

 気仙沼にあった某訪問看護ステーションは事務所を津波に流され、同法人の特養ホームに間借りしながら事業を継続していた。ここの所長(管理者)さんは、宮城県訪問看護ステーション協議会の役員をされていて、私も昨年の合宿研修で顔を見ていました。久々の再会に、
「気仙沼はどこからも遠くなっちゃったんです。電車はだめだし・・・。そんな遠くまでよく来てくれました」と、まずは私たちの訪問を喜んでくださった。これからは仙台での会議や催し物にも出かけにくい旨を話していました。

訪問看護の利用者は約半分に減少
訪問看護ステーションの事務所は津波で喪失したが、訪問看護師は全員無事。ただし、訪問看護の利用者は地震・津波の前は約150名いらしたそうだが、そのうち20人が死亡・行方不明。入院・他地域避難の方も多く、訪問継続者は約80名だという。その方々になんとか訪問看護を実施している。

何が必要か・・・
 夕方お伺いしたが、その日の訪問を終えて訪問看護師さんが4人私たちにいろいろとお話をしてくださった。
「全国の訪問看護の仲間は、なにかできる支援させていただきたいとみんな思っているんです。大してできることはないかもしれませんが、何かありませんか」
「ありがとうございます。訪問看護を手伝っていただくにしても、車・ガソリンが必要。それよりも地理を知らないと訪問できない。ましてや津波などで地図が当てにならない。気持ちはありがたいけれどねえ」
「必要なものは、なにかありませんか」
「事務所が流され、何が必要かもよくわからない。必要なものだらけ。契約書も訪問看護指示書も何もない」
「そうですよね」
そしたら、ブルーのユニホームを着ている訪問看護師さんが、
「まずは、このユニホームがあればありがたいです」と、工夫されたエプロン形式のものを示してくださった。
「エプロンでいいなら早速送りましょうか」
「いいえ、エプロンなら何でもいいのではないんです。私たちはこだわってこのユニホームを選んでこれだから快適に仕事がしやすいんです。できればこれがいいんです」
「これはどこのメーカー?」
「そのカタログのみんな流されてしまったのでわからないんです」
そしたら、宮城県訪問看護ステーション協議会の方々が、
「あのカタログだよね、きっと。私探してみるね。宮崎さんに送ればいいですか」
「はい、連絡先を送ってください。何とか手に入れて届けるようにしますよ」

いつも使い慣れた本も
 「それにできれば、制度のことが書いてある本とか、訪問看護の基本的なことが書いてある本もあるといいなあ。あっ、それは、あの本のあそこに書いてあったのよね。ということがよくあるんです」
「たとえば、どういう本?」
「それはね・・・」
と、具体的にお聞きしました。

 必要なものが個別的に違うんだなあということを感じ、それを義捐金などでどう保障できるのか、多々の課題もあります。私は、とりあえず、出版社(中央法規出版)の快い即決の寄付という支援を受けながら、必要だといわれた最低限のもの(ユニホームと本)をお届けしました。不十分なかもしれませんが、まずは。

            5月15日記