東日本大震災 その4 海に向かって“ごめんなさい”

東日本大震災 その4 海に向かって“ごめんなさい” 4月26日

地震・津波に伴いご家族が四苦八苦したのだと思います。 宮城で聞いた話し。

ベッドが津波に持ち上げられ・・・
 ベッド上で寝たきりのお父さんを介護していた娘さんは、津波を予測して、避難させようとしたが、体重が重くてどうしても1人で移動できず、あきらめかけていた。その時、津波が来た。もうだめだと思った。ところが、お父さんが寝ていたベッドごと、波の上に浮いたという。それで流されるのかと思ったら、階段のところに引っかかった。娘さんは、急いで階段の上からお父さんを引きずり上げて2階に避難することができて命が助かったという。
 ベッドごと浮いたということと、ちょうど階段のところで止まったという偶然が重なり、命が助かったのだと思う。

「どうしよう」「どうしよう」
要介護5で自分では全く動くことができない女性。長男さんご夫婦と同居していて、ご夫婦で介護をしている。地震のその日は、長男さんご夫婦が揃ってたまたま家にいたという。寝たきりになっているお母さんは、神経難病でベッド上の生活で、認知症はなく意識は鮮明。
 大きな地震がきた。津波が来るだろうと、長男さんご夫婦はお母さんを避難させようと準備した。しかし、予測していなかったことと、慌ててしまって、スムースに準備ができなかった。車椅子を探したり、空気を確かめたりしているうちに、窓から津波が来るのが見えた。「どうしよう・・・」「どうしよう・・・」たぶん、お母さんが、「あなたたちだけ逃げなさい! 早く逃げなさい!」といったのだと思います。それでも、長男さんたちはお母さんを置いて逃げることができずに手を握ってないていたんじゃないかと思います。
 そしたら、黒い水が家の中まで入り始めた! 長男さんと奥さんは、慌てて「お母さん、ごめんなさい!・・・」と、家の2階に駆け上がった。水はそれでも追いかけてどんどん浸水し、二人は屋根に上った。水は屋根の上までは来なかった。

一晩、泣いて大声で『お母さん、ごめんなさい』と・・・
 周辺の水が引かなく、屋根の上に上ったままの長男さんご夫婦は、一晩中屋根の上にいたという。雪が降り、真っ暗な夜・・・。海に向かって大きな声で、泣きながら、『お母さん、ごめんなさい』『お母さん、ごめんなさい』『お母さん、ごめんなさい』・・・・・とずっと叫んでいたそうです。
 何と切ない話でしょう。この話を思い出すたびに涙がこみ上げてきます。こういう話が数え切れないほどあるのだと思います。

つづきは、また。間をおかないで書いていきます。      4月26日記