津波にのまれた訪問看護師
津波にのまれた訪問看護師 4月5日分
被災地の様子をテレビなどで見ているとどうしても何かしなければと思ってしまい、できないことに落ち込んでしまう・・・。そういう方がたくさんいるのではないでしょうか。私も性格がそうなのか、職業柄なのか、病気になるくらい苦しくなるのです。
被災地入り
やっと被災地に行かせていただくことができました。先週、宮城県内の被災した訪問看護ステーションに必要物資などを運びながら、まずは顔を見て・・・利用者さんや職員がどうなっているのか、必要なもの・制度などは何なのかを見て・聞いて・感じてという内容です。
全国訪問看護事業協会(私は、この団体の事務局次長)の活動として、石巻⇒南三陸(志津川)⇒気仙沼というコースで、東京から車ででかけました。6ヶ所の訪問看護ステーションと避難所1ヶ所の訪問、そして大島の訪問看護ステーションには、支援物資を舟に乗せることです。
訪問の先々で、悲しい話、感動的な話し、要望事項などをたくさんお聞きしてきました。
津波にのまれて、でも助かった訪問看護師
真っ先に伺ったのは、石巻のあるステーション。それは海辺だったので津波にさらわれ事務所は喪失。それで今は同法人の別な事務所でいっしょにやっている。事務所から出てきたのは、所長さん。宮城県の訪問看護ステーション協議会の会長の伊藤久美子さん、副会長の松浦千春さんと抱き合って、「生きていたの! よかったね!」と涙・涙・・・。「私、津波にのまれてね、本当は死んでいたのよ。だけどね、助かったのよ」「へえ! そうなの! どんなんだったの?」
「訪問看護中だったの。車で移動の途中で地震が来たので、高台にいこうとしたんだけど、どうもだめだと思って、車を降りて逃げたんだけど、だめだったのよ。真っ黒な波・水が襲い掛かってくるのよ。恐かったよ! それに飲み込まれちゃった・・・。だけど、ブロック塀があったので水の中でそれにしがみついて息をしていたのよ。やっと水が引いたんだけれど、全部引かなくて周囲が水につかっていてね。どこにもいけないのよ。近くに壊れた屋根があったのでその上にやっとよじ登ったら、知らない人が二人よじ登ってきた。三人で屋根の上で一晩過ごしたのよ。ところが、海水につかったびしょ濡れ状態で、そこに雪が降ってきてね、電気がつかないから、真っ暗ななかで、三人で暖めあって朝が来るのを待っていたのよ。こんなに時間が経つのが長いと感じたことがなかった。なんと長い夜だったか・・・。」
と、話してくれた。聞いている私たちも胸がどきどきしてみんな泣き顔。
「だけど、命が助かったということだから、もっと働けということだろうから、一生懸命働くわ」と、たくましく話してくださった。
花や美味しいコーヒー・お菓子・ぬいぐるみ・おもちゃ 在宅療養生活の要介護の方の感動的な話、悲しい話などたくさんあるんですが、今日は時間切れ。また、紹介します。
医療や処置、日常生活支援に必要な物資で不足しているものを聞き、日本看護協会が準備してくれたその物資を運んだのですが、私はそれにプラスして、植木鉢の花やおいしいコーヒー・お菓子など、ちょっとほっとするようなものを東京から持参した。それに、日本看護協会にキテイランドからのご寄付というたくさんのぬいぐるみ・おもちゃも車につめこみ、届けた。看護師さんやヘルパーさんの子どもさんに、事務所に。
ある訪問看護師さんがこういいました。「ああ、花・・・。山や周囲はまだ新芽もでなくて茶色の世界なのよ。花がうれしい・・・ 久しぶりに心が癒されたわ。おいしいお菓子も楽しめそう。(小さな声で、内緒だけど、ビールが一番うれしいかなあ、なかなか手に入らないのよ・・・)実は、ビールを東京から運んだんです。仕事が終わってほっとしたひと時のために・・・。(不謹慎に見えるかもしれませんが、出かける前に現地の訪問看護さんに電話で聞いたところ、手に入らないので大歓迎ということだったのです)
今週は、福島(相馬地域)、来週は、岩手(陸前高田から宮古まで)に行かせていただく予定です。
つづきは、また。 4月12日記