現代の姥捨て山

現代の姥捨て山          12月25日分
 先日、群馬で聞いた話。「昔は山奥に姥捨てがあったというが、最近は駅が姥捨ての場所らしいよ」と。小さな駅に一人の女性がずっといてどこにもいかないとのこと。それをめぐって町でさまざまな噂が飛び交っていると。
 年齢不詳、80歳代くらいに見える女性がとある駅に一人でずっといたのだそうな。名前を聞いても何を聞いても、返事が返ってこない。どうも認知症らしい。そのまま駅にいてもらうことも困るので、やむを得ず、地域の施設に一時的に預かったと。その様子は、戸惑うふうでもなく、自然に施設の中を歩き回るそうな。
 それを聞いた町の人は、さまざまな憶測をして話題になっている。その内容は、次のよう。
①『家族が駅に姥捨て説』
家族が家で世話することができず、施設に入れたがそれも長くなりお金がかかる。それで、困って、駅においていったのではないか。赤ちゃんのコウノトリ箱ではなく、年寄りの姥捨て場所=駅。
②『施設職員の置き去り説』
施設職員が、見失った振りをして駅に放置したのではないか。施設で介護していたが、あまりに世話が大変で外出の途中で見失った振りを・・・。
③『散歩途中の迷子説』
 家で暮らしていたか、グループホームのような自由に外出できるところにいて、家族・職員が気がつかないうちに外出し、そしてそのまま電車に乗って、降りた駅がその駅だったのでは。
④『認知症の振りをしている生活に困っている人説』
 本当は、認知症がないのに、生活に困って認知症の振りをして記憶障害・認知障害の振りをしているのではないかと。
確かに、駅なら誰かが見つけてくれて、たぶん、死ぬことはないだろうと。そういう意味では、日本はありがたい国で、見つけた誰かが何らかの手立てをしてくれる。

考えなければならないこと
①日本の中で認知症の人が、年間約900人が行方不明、あるいは死亡している現実。(2005年9月、読売新聞)死亡の原因は、側溝に落ちたり、冬は凍死。 
②迷子になって探すことの難しさ、身元不明者の身元を探せない現実
 私が認知症グループホームの運営責任者をしているときに、ある入居者が3日間行方不明だったことがあった。東京の上野で行方不明になったのだが、3日後に長野で発見された。その時は、警察にお願いして捜索願いを出し、全国ネットで、コンピューターでの捜索でやっと見つかった。でもその人の場合、自分の名前が言えたからパソコンでデータがつながった。名前がいえなかったらたぶん、未だ行方不明のままかもしれない。
 探す方は、一定時間を過ぎたら、警察の捜索願いしかなくなる。また一方、身元不明者を発見しても身元を捜すことが困難で、『名無しのゴンベイ』という名札をつけられ、病院や施設にいる方も少なくないのが実態である。
 こんなふうに格差が激しく、年金から天引きされる金額が多くなると、生活に困って認知症の〝フリ″をしているのではないかと疑いたくなるような情勢もある。一説のよると、『倒れるなら、都立病院の前』ということだそうだ。都立病院の前で倒れるとその後さまざまに安心だということらしい。
 うそやごまかしは別として、認知症の人の行方不明・死亡発見は何とかしなければならない重要課題。かといって、家や施設に牢屋のごとく施錠して外出できないようなことはしない方向にやっとなってきた。そうしない方向で介護分野は動いている。では、どうするか・・・。国民みんが真剣に考えなければならない課題である。せめて、探す側と、身元がわからなくて困っている側が近寄れる方策は、コンピューター時代に何とかなるのではないだろうか。名前がいえなくても写真で捜索しあうことは・・・。だれか何かしなければ!
 年の暮れに、そんな話を聞いて何だか胸が重くなった。

来年もよろしく! 今年一年、いろんなことがありました。私にとっては、人生の大きな軌道修正の年でした。『2007年』、『51歳の年』は生涯忘れられない年になりそうです。さまざまに応援してくださった全国の方々、ブログにお付き合いしてくださった方々、本当に有難うございました。来年はどんな年か・・・。よくわかりませんが、またおもしろい年にしましょう! 来年もよろしくお願いいたします。

現代の姥捨て山” に対して1件のコメントがあります。

  1. 芝宮忠美 より:

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    足立区長選・・ご苦労さまでした、
    妻(透析)、私(内科))を12月から柳原病院に変更しました。
    08年の活躍に期待してます。

コメントは受け付けていません。