足立区の「教育問題」のその後
足立区の「教育問題」のその後 12月5日分
6月の区長選挙のとき、「教育問題」が一つの焦点でした。足立区で行っている学力テストの結果の公表と、結果による予算配分の格差が問題になりました。というよりは意識的に区長選挙で大きな問題として区民に、マスコミにもアピールしたつもりです。相手候補者と直接討論する唯一の場だった東京青年会議所主催「公開討論会」の場で、そのことが討論されました。私は「学力テストで子どもたちがどう発言しているか」「その結果によって予算格差があるのはどう考えてもおかしい」などと発言し、相手候補も「足立区の学力テストで問題があることは聞いている」と、みんなの前で発言したのでした。その「足立区の教育(不正)問題」が、その後マスコミに何度も取り上げられました。それはどういうことでしょう?
足立区の「教育問題」とは
先日、『第11回足立教育大集会』が開かれました。足立区内の11の教育関連の団体の共同企画だそうです。教育者、保護者、足教組、その他の方々が180名集まりさまざまな報告がありました。その中で報告された「足立区の教育問題」をまとめると以下の通りです。
■学校選択の自由化2002年(行きたい学校に入学していい)
⇒交通至便地域への学校への生徒集中、不便地域の生徒減少。足立区内では、3人に一人の子どもが学区以外の学校へ。⇒地域社会の中での子育てが維持困難に。(地域でのつながり、行事などがやりにくく、崩壊しかねない状況)
■一斉学力テスト実施(2004年2月)
⇒足立区は東京都内23区で最下位の成績だった。
■学校ごとに順位をつけて公表した。
⇒さらに、学校ごとの生徒数集中と減少が激化。
■学校予算を格差配分
学力テストの結果で査定し、格差配分すると。成績のよい学校に予算を多く、そうでないところにはそれに応じて。マスコミなどで全国的な批判を。さらに、学校単位の予算ではなく、生徒数による予算配分も。
■試験問題の事前漏洩 2007年7月「不正発覚」
私も選挙期間中に、さまざまな声を聞いた。
「俺の学校は、バカ学校だってな。どうせ俺らはバカだよな」
「僕の学校では、いい中学・高校にいけないの? 友達にそういわれた」
「成績の悪い子どもに、試験当日休むように暗に言うんですって」
「あまり成績が悪い子の答案用紙は、数に数えないんですって」
正確かどうかはわからないが、そんなことが町で語られている。
関係者・区民などの力によって、学力テストの結果の公表方法が見直され、それによる予算格差が中止された。
こういうことに対して、教育を守るなどさまざまな団体が協力して新たな動きもいろいろ起こしている。さらに、今論議されているのは、①学校の2期制(3学期制⇒2学期)、②少人数学級、③夏休み短縮など。
元は、小泉政権・石原都政による教育改革。教育がボロボロに・・・。
『第11回足立教育大集会』での声
この大集会では、小・中学生の報告もあった。6年生の子どもたちが、「自分たちのクラスでいじめがあった。それをなくすために自分たちで『いじめ撲滅委員会』を作った。そして『一人一人の苦手なことをみんなで助け合って心を一つにしよう』というスローガンで取り組んだ。その中でわかったことは、友だち同士の会話がなくなっているということだった。そして、取り組んでそのいじめは解決した」と。
また、中学生も「夏休みが一週間短くなった。1週間で学力がつくのでしょうか。そのために、学校ではクーラーを設置したとか。宿題の量は変わらず、ゆっくり休みがとれない状況。部活をしたいのに勉強ばかり。ただ、学力テストはやったほうがいいと思う。励みになるし、自分の実力がわかる」「顔が気持ち悪いなどと、いじめがおこる。いじめているつもりがないのにいじめになってしまう。なくすことはできないかもしれないが、減らすことはできると思う」と。
教師の方の報告もあった。新採用の教師の問題、時間外労働、休憩なしの重労働、多様な実態が報告された。帰宅はほとんど夜9時ごろと。発言の中で、「自分は教師4年目だが、『指導力不足教員』とは査定されていないようだ」と。教師も自分への評価を気にしながらの教育でたいへんだ。教師の方も現場で精一杯頑張っている。
足立区の教育問題を取り組んでいこうと、保護者たちが、今年1月に立ち上げた「足立教育を考えるネットワーク」で7000名もの署名を集め、足立区教育委員会に持参したときの様子などの報告もあったが、とにかく、主体的に動く人たちが改善の方向に向かわせていることがよくわかった。
つい先日、世界の一斉学力テストの国別結果が報道されていたが、日本はどの項目も低下。フィンランドはどうしてトップなのだろう? フィンランドは、18歳まで(?)学力テストを一切行わないそうです。日本の教育のあり方がなにかおかしいのではないだろうか。
私が印象に残った言葉は、「助け合う」「話し合う」「関わり合う」「つながり合う」という『合う』ということでした。看護介護の現場で常日頃大事だと思っていることと共通です。人と人が『△△合う』、これが足りなくて、あるいは大事にできないことがさまざまな問題の根源になっている。どうして『○○合わない』ようになってきているのだろうか?