高齢者住宅火災に思うこと
高齢者共同住宅の火災に思うこと 3月25日分
先日、群馬県渋川の高齢者共同住宅で火事が発生し、10人が死亡しました。ご冥福をお祈りします。この火事は、高齢者の住処についてさまざまな今日的日本の問題を露呈しました。きょうはその中の一つの問題について書きます。
『第3の住処』
最近、私に依頼が来る講演内容に『高齢者の第3の居場所―――自宅ではなく、病院・施設でもない第3の住処で暮らすこと』というのが増えてきました。要介護・要看護・要医療の状態での暮らす場所として、全国で新たに取り組み始まった『第3の居場所作り』の実践例をもとに、何が大事なことなのかを私なりに解説する内容です。
寝たきりでも認知症になっても、あるいはがんの末期になって余命いくばくかもない状態でも、病院や既存の施設で暮らすことをいいと思わない人が多数を占めます。できれば、自宅での生活の継続を望み、そして叶うなら心の通った人たちに見守られて静かにこの世を終わりたいと。しかし、自宅での生活の継続は、家族がいてもいなくても中々難しい状況です。
そこで、『第3の住処』なのです。キーワードは、①「自宅ではない在宅」、②「小規模住宅」(10人以内)、③「共同生活」です。有料老人ホームや高齢者専用住宅(高専賃)などでもないのです。どちらかというと「認知症高齢者グループホーム」に形は似ています。一般住宅のやや多きめの普通の住宅。大事なのは、「アパート」的ではなく、「共同生活」というところです。大きな家で1人で暮らし、一日中誰とも話しをしないで生活することを良しとしないで、
“プライバシーを守りながら”
“人の気配がして”
“他人を意識しながら”
“少々助け合い”
“見えないところで専門家が支援する”
こういう住処なのです。「共同生活」の意味については、またいつか展開します。
これは、様々な意味できらりと光る何かが見えます! 病気や障害を持ちながら、家族ではない誰かと一緒に暮らすスタイルに大事なものがあると思うのです。そういう住処を作って経管栄養でも終末期でもプロの支援を受けながらいっしょに住んで生活し始めているのです。
形ではなく、中身
長崎県大村市でのグループホームでの火災以降、「だから小規模は良くない、大型化でないといけない」「だから二人夜勤にすべき」などと短絡的に語られるし対応される。その先に「だから自立支援がよくない、無理」「だから施錠しないと・・・」「だから・・・」という論調になりかねません。
今回の渋川の火災ではどうなるのでしょうか。「だから共同生活はよくない」「だから施設として登録すべき」「だから・・・」と、規制が厳しくなる。
よく見てみると、私がきらりと光る何かがあるスタイルと今回火事になったところは同じ扱いになるかもしれません。ということは、そういう大事な発想での取り組みに足かせとなる可能性があるのです。
火事や事故は起こさないようにするのは当然です。しかし、私は建物やサイズなどの外側・形ではなく、どういう内容の支援があるのか、支援を付帯するのか、これがとても大事なことだと思うのです。今回の火事をきっかけに、画一的な対応になりはしないかと一抹の不安が残ります。
大事なこと・生きるということは、「豊かさ」と「危険」がいつも隣り合わせということなのかもしれません。そのことを大事にした施策が必要なのだと思います。
ガルーダたより
◆「ガルーダ・ネットワークニュース」と「ガルーダ・サポーターズニュース」が出来上がり、会員の皆様にメール便で発送しました。会員になっているのに届いていない方は連絡ください。ボランテイアの皆さんのお力でステキなものができました。「ガルーダ・ネットワークニュース」は、2ヶ国語(日本語とインドネシア語)が併記されています。(来日候補者向けです)
◆全国で研修・就労している候補者からの『SOSコール』が鳴り始めたのです。インドネシア人の方(20年間日本に住んでいる)が、懇切丁寧に電話訪問しはじめたことをきっかけに、長電話での話し・相談です。一度はなしが通じると再度電話がかかってきている状況です。話をじっくり聞いてすむ場合と出向いて会った方がいいかなという場合があります。かなり深刻におもえるような内容も聞こえています。
当面は、『ガルーダ・サポーターズ準備委員』で、集団で検討し対応します。
桜が咲いてきましたね・・・。いい季節ですね・・・。