8月25日
8月25日
身内の者が認知症に・・・
『一人暮らしか、共同生活か・・・
認知症の人にこだわり始めて早7年。ちょうど介護保険がスタートした時期に、当時私たちがよくわからなかった「認知症グループホーム」を、立ち上げることになった。私は、それまでの訪問看護で苦手だった(というよりは、在宅療養生活をどう支援していいか分からなかった)認知症の人の生活の場としての「グループホーム」に可能性を察知して、期待して設計からかかわってきた。そして、それから6ヶ所(9ユニット、81名)のグループホーム作りと運営の担当・責任者をしてきた。
その「グループホーム」での実践で分かったことは多大だ。その中の一つとして、『共同生活・グループリビング』の意味を認識したこと、そして環境による人間の生き方の変化(人間の本性)をまざまざと理解したことである。人は、人と群れ合って(かかわって)こそ、人間らしい生き方ができること、家族ではない他の人といっしょに暮らすことによって相手を意識し自分らしさも出しながら、それまでと違った顔で違った生き方ができることを知った。認知症になって自分だけの力で生活し生きていくことが難しい状況になった時には、誰か(専門家による)の助けをかりながら、誰かといっしょに暮らすことが、さまざまな意味でいいことだと理解した。いいかえれば、家で一人暮らしでぼうっとしているよりは、グループホームのような共同生活の場で生活することの方が(支援の仕方次第ではあるか)、元気に生き生きとした表情でいき続けられる可能性があると。
最近、身内が認知症の状態であることがわかった。一人暮らし(80代後半、女性)で一人での生活が困難になってきている。そこで、家族・親戚と有料のヘルパーが交代で24時間・365日付き添って家での生活を支えている。この在宅生活を続けるか、どこかの施設に入所するかをめぐって周囲のものたちで(時々、本人も入って)議論しているが、意見がまとまらない。現段階としては、このままの在宅生活を続けることは可能(自費のヘルパーが24時間ついていてもOKな状況)。それと、徹底した自立支援を目指しているグループホーム入所も可能な状態である。
■このまま家(在宅)での生活を継続した方がいいという理由
・本人が望んでいること
以前から、家での生活を望んでいたこと。自分が一人で暮らしていくことが難しくなってきていて、交代で付き添ってもらっていることは自覚。「悪いねえ」という。しかし、施設などへの入所は考えてはいない。
・グループホーム・施設などに入所した場合に、混乱し落胆してもっと状態が悪化し、本人の気持ちを苦しめてしまうのではないか。今、穏やかに暮らしているのを壊すことにならないか。
■グループホーム(共同生活)の方がいいのではないかという理由
・家での生活が、本人の力をドンドン衰退させる。食事を作ってもらい、何でもやってもらう生活。自分のことを自分でやってもらう方向も悪くはないが、家族やヘルパーにはやってもらって当たり前という関係性・本人の理解から、家で自分ですることがない。⇒①テレビをぼうっと見ていること、②転寝をすること、③突然、思いついた何かを始める。デイサービスもあまり好まなく、週1~2回。
『個』『孤』の生活で、かかわりが非常に薄く、身体を動かすことも、話をする時間も少ない状態である。このままでは、本人の持っている力がなくなっていく一方だ。客観的も認知症が速い速度で進行している。
・ 本人の活気ある違った生活の可能性があること。リーダーシップがあり、他人との交流が得意な性格などを発揮した生活が、グループホームでは可能ではないか。生き生きとした共同生活(これまでの人生にはなかった形での新たな生活)があるのではないか。賭けのようなものだが・・・。
なかなか、難しい選択なのである。身内であってもなくても、認知症という状態になった場合の生活の場をどこにするのか・・・。もちろん自宅での生活の継続を望む声は多いが、それは他があまりいい生活に思えなかったからであろう。共同生活という場で、同じ境遇であれなんであれ、人・サポーターといっしょに暮らすことの意味・良さなどをもっと社会で語りあうべきだろう。家のよさは何? モノ? 自由? ?? それをグループリビングで保障できたら・・・。人生、状況に応じて住み替えが必要かも。
グループリビングは、認知症の人だけではなく、もっと歴史が古い精神障がい者・知的障がい者のグループホーム。今、日本にほとんどないが、私が必要だと思う『ガン末期など人生の終末期の人のグループリビング』も。何の障害もない人たちのグループリビングを望んでいる人も少なくない。
グループリビングの良さや可能性は少しは分かってきたが、人間、そう単純ではない。目の前にいる身内のこの方の今後を見守りながら、もっと深く考えていかなければ。