東日本大震災 その17 『災害用バッグ』で話し合い 5月28日
正確に呼ぶのが難しい『大槌町』(おおつちちょう)。町議会中に津波の被害に遭われ、町長さんはじめ議員や役場の方もかなり被災した地域としてマスコミで紹介されています。海辺の町は一瞬にして津波にのまれてしまったのです。
この町には、訪問看護ステーションが1ヶ所あります。『ふれあいおおつち訪問看護ステーション』といい、同法人の老人保健施設の中に事務所があります。
事務所は無事
大槌町の町の瓦礫の山の中を通り抜け、高台・山の方に車でかなり走ったところに老人保健施設がありました。大震災直後には、町からたくさんの人がここまで来て約600人がこの中に避難したといいます。
この中にあったステーションは無事でした。事務所内のものの落下もほとんどなかった。(湯のみ一つ落ちなかったと。東京の私の家の方が被害あり。ガラスのコップ20個破損)
最も驚いたのは、この地域によっても揺れがかなり違ったこと。海辺の町に訪問していた看護師は、地震直後に高台の方の事務所に戻ろうとしたが、津波がきはじめていて戻ることができず、逃げていた。その時に救急車も数人を乗せて行き場を失っていて、自分は看護師だということを伝えて、いっしょに一晩救急車の中で救護をしたという。
ところが、ステーションの事務所で地震に遭った訪問看護師は、地震があった午後2時46分の後の余震もありながら、午後3時から訪問の約束があった山の方のお宅を訪問したという。
「確かに揺れたけれど、何も倒れることもなかったし、それほどではないと思ったんです。この地盤が強いんでしょうか、本当にそんなに揺れなかったんだと思います。だから普通に訪問看護に出かけてしまったんです。あとでラジオで聞き、たくさんの町の人の避難状況を見て驚きました」
災害バッグの活用
所長の小笠原実智代さんは多少のことで動揺しない大らかな人。その後、こんな話をして下さった。自衛隊から日赤が作成した災害用バッグが配布された。それを訪問用の自動車に常備するようになったが、それがとてもよくできていると思ったと。ほどほどの大きさのバッグの中には、タオルや手袋、懐中電灯、ラジオなどなど最低限必要な物資が20種類くらい入っていて、枕にもなる。
「私は、自衛隊にお願いして在宅の訪問看護利用者の家と職員(訪問看護ステーションや老人保健施設の)の全員分をいただけるようにしました。そして、みなさんにこういいました。『このバッグが実際には使われないことを願います。ただ、このバッグをもとに家族で話し合ってみてはどうでしょうか。災害時には、どこに逃げるのか、どういうものが必要になるのか、他に必要なものは何か。災害というものを真正面に受け止めて、本気で明るく話し合うことがとても大事だと思うんです』と」
持ち歩くもの
とてもすばらしい提案だと思う。日本全国で必ずまた災害が起きるのだと思う。「想定外」といわず、先ずは自分の周囲で“もの”と“心”の準備が必要なのだと思います。
我が家のことですが、子どもが小さいときから9月1日に家族で話し合って対策を立ててきました。家族みんなが、ライト・呼び笛・(カードサイズラジオ)・家族親戚の連絡先一覧(パウチッコで名刺サイズにぬれても大丈夫なように作っています)などを携帯しています。家の中も子どもたちのアイデアで今も工夫されています。
被災しながらも前向きに全国に発信してくださることに『敬意』。
5月28日記