8000万円をかかえた先輩看護師
8000万円をかかえた先輩看護師 8月25日分
この間、たくさんの認知症の方に出会いました。全国の認知症グループホームのいくつかを尋ねる機会があったからです。知らないうちに思いもよらないような事業・活動の動きがあり、それを実地に見学させていただいたのでした。私はとにかく、紙面とかうわさではなくこの目で現場を見せていただき、その上で私なりの考えを持つことにしています。実際には、聞いた話・紙面で見たこととその実際はかなり違っていることが多いです。
思いもよらないような動きは、そのうちお伝えしますが、今回は、その中で出会った一人の先輩について書きます。
結婚か、看護師の仕事の継続か
私の看護師の恩師である川嶋みどり先生は、いつもこう話していました。
「私が看護師になった時代はね、独身が当たり前で結婚したら仕事を辞めるのが普通だった。でもそれはおかしいことだと思い、現日赤中央病院に勤務していたときに、結婚しても子どもを生んでも生き生きと働き続けられるようにしようという取り組みを仲間といっしょにしてきたのよ。それで院内保育所というのをはじめて自分たちが作り始めたのよ。だけど、結婚して働いているときにロッカーでこういう会話をしているのを耳にしたのよ。『○○さん、結婚しても働いているんだよね。結婚している人は何だか不潔よね、いやよね』と。そういう時代だったのよ」
これが、昭和30年代(1950年代後半)、つまり今から50年位前の話です。その当時、結婚せずに独身で働き続けた看護師たちは、今、どうしているのでしょうか。
山姥(やまんば)のような姿で発見されたAさん
散歩中の日焼けしたAさんにお会いした時の会話です。
「こんにちは、私、東京から来た看護師の宮崎と申します」
「あら、私も昔、日赤の看護師だったのよ」
「へえい、そうですか。では大先輩ですね」
「でも今はやっていないよ。私は昭和5年生まれでね、歳は忘れちゃったわ。長い間、日赤の病院で働いていてね、定年で辞めたのよ。でもずいぶん前の話」
「そうですか。それで今はどうなさっていらっしゃるんですか」
「もう、看護師はできませんよ。だいぶボケてきましてね。でも毎日歩いて足腰鍛え、なるべく迷惑をかけないようにしたいと思っているんですよ。ここはいいところですよ」
と、いろいろおしゃべりさせていただいたのですが、その後、このグループホームの責任者の方にお話を聞いて驚いてしまいました。
「長い間、一人暮らしをしてきて、親族の方がほとんど亡くなり、まったく身寄りがなかったらしいです。かなり重度の認知症で、近隣の方からの通報で発見されたそうですが、髪の毛は伸び放題、たぶん食べていなかったのでしょう、やせこけて、目はらんらんとして、表情がない状態だったそうです」
「へーい、現在のAさんを見ると、そんなことがとても想像できないですね。ニコニコ笑って、穏やかでふっくらしていて・・・」
8000万円・・・
「それでお金のことをすごく心配なさっていて、お金がないと面倒見てもらえないのではないかなどと。弁護士さんにお願いして全部調査をしてもらったら、8000万円を蓄えていたそうです!」
「ヘーイ! それで、そのお金は今後どうなるんですか?」
「さあ、誰もわかりませんね・・・」
時代が生んだ生涯独身看護師の超高齢の姿
現在のように、選んで結婚をしないで看護師を続けているのとは違い、結婚をすることと看護師を続けることを選択せざるをえない時代に、結婚をしないで看護師を続けることを選んで一生を送った方々は、大勢います。概ね現在、80歳以上かな。
定年後、さまざまに過ごし、その後、がんになりなくなる方ももちろんいますが、Aさんのように認知症になり、身寄りなくこういう姿で発見され、社会のお世話になる方がいらっしゃる・・・。そういう看護師向けの有料老人ホームもあれば、共同生活をする住居を作っている先輩看護師たちもいます。
それにしても、いったい、この8000万円はどこにいくのだろうか・・・。一人の看護師が8000万円を蓄えられたことに驚くと同時に、その使い道について頭をかかえてしまう私です。誰のための、何のためのお金なんだろうか・・・。
Aさんは、私が見る限りは、存分に今を生きているようにみえました。そのように支援してくださっているグループホームの職員の皆さんや経営母体の皆さんには、心から『ありがとう、ございます』です。