90歳の準備

90歳の準備      10月5日分

 一年前に知り合った90歳の男性の方に久々にお会いしました。人生の大先輩のX氏に、私は「90歳になったら、こういう準備をしてくださいね」とお話させていただきました。(お説教かな???) 実は、そのことは、90歳にならなくても52歳の私のような年齢でも、考えてそれなりに準備しておかなければならないことではないでしょうか。

身寄りがない一人暮らしのXさん
 Xさんは、2DKで1人暮らしをしている90歳の男性です。70歳まで現役で仕事をし続け、そこで引退。それ以降の20年は、趣味にお金も心も使い楽しんだといいます。
「これまでの90年の人生の中で、どの時期が一番おもしろかったですか?」
X氏「70歳以降の、引退してからが実に楽しく、いい思いをした人生でしたよ。趣味は絵や歌ですね。人生に悔いがないくらい楽しみましたよ」
 詳しい過去はわかりませんが、身寄りがないと本人はおっしゃっています。
最近、体調不良で痛みや苦痛があると聞き、お会いしたのですが、食事を食べることができずかなり痩せて寝込んでいらっしゃるようでした。
「痛むんですか? お医者さんにはかかっているんですか?」
X氏「そうなんですよ、痛くて横になっていると少し楽なんですけれどね。お医者さんは一時期かかっていていろいろ検査したんだけど原因がわからないといわれ、いただいた薬も全然効かないし、外来にいくのが大変でね。今はどのお医者さんにもかかっていない。こうして死ぬのをじっと待っているだけです」
「たいへん失礼なことでおせっかいかもしれませんが、いくつか教えてください。私は長い間、人生の最期を生きる方々のご支援をさせていただき、いろいろ心配なのです。90歳まで元気で生きてこられましたが、少なくても平均年齢を過ぎる年齢になれば、いろいろと覚悟と準備をしなければなりませんね。大きくは、2つの準備です。一つは、病気や寝たきりになることについて、もう一つは“死ぬこと”についてです。そういう準備はいかがですか?
X氏「心の準備・覚悟はできています。できれば、病院で死んでそのまま誰かが遺体を引き取り、灰にして、それを東京湾に捨ててほしいのです。そう願っています。ただ、身寄りもなく、それをやってくれる人が見つかっていません。だからなにも準備ができていないんです。宮崎さん、全部任せますのでやってくれませんか」
「会ったばかりで、素性も知れない私にそんなに簡単に全部任せるなどといわないほうがいいと思いますよ。そして、そんなに簡単に灰になったり東京湾に捨てたりなどということはできません。書類や印鑑などたくさん必要です。その前にそう簡単に入院して病院で死ぬということが実現できない時代ですよ。
ご自分の人生設計、後始末を、人任せにするのではなく、ご自分で行う責任があると思いますよ。そうでないと周囲がかなり迷惑すると思いますよ。準備していなく、その上お金もなく、遺体を焼却すらできないで困ったこともありましたよ。お手伝いはしますので、いっしょに考え、ご自分で決めてください」

人生の最期は、心がつながった3種類の相談役の人が必要
 私は、Xさんにぜひ3人(3種類)の相談できる人を求めたほうがいいと思いますと話しました。
①病気や身体不調などをいつでも相談できる人
医療関係者のほうがいいけれど、とにかく、痛い・苦しい・心配など、身体の不調のときに医者につないでくれる人。セカンドオピニオン(主治医を変更することも含めて相談できる人)
②財産・借金・自分の持ち物などの後始末を相談する人
  誰に・どこに頼むのか、その人に頼むということもあるが、どこに依頼するかを相談する人。弁護士、公証人、成年後見人、遺言など、多少お金がかかってもきちんとした形で公の立場でかかわってもらったほうがいい。
③残っている時間・人生をいっしょに楽しむ人
  趣味をいっしょに楽しむ、いっしょに食事をする、いっしょに花をめでる、ただ話をする・・・。お金や財産や体調に関係なく、人生をいっしょに楽しむ人。

 私は、①の相談役には、なれる可能性があるが、②は、誰か公的な人につなげることはできるけれど、引き受けることが難しい。③は自由にどうぞ! と。
 Xさんは、金銭的なことも含めてさまざま思案中です。痛みと衰弱が進行しているので、いつまでも待っていられない状況ではあります。

何でも人のせい、他人依存
 それにしても、Xさんのように、どう段取りすればいいのかわからないままに、そういうときがきてしまう人が多いのだろうと改めて思いました。しかし、それにしても、「死んだら、金・財産も借金もないから財産問題はない。遺体は灰にして撒いてくれ、家財道具やモノは誰か役所の人でも何とかしてくれるんだろう」と、確かめもせずに人頼み・人をあてにしている生き方はどうなのだろうか。
悪いのは制度のせい、政治のせい、上司のせい、家族のせい、親のせいと誰かのせいにして、自分自身の一人の人間としての責任を自覚しないで生きている・・・。脳は、受身ではなく、能動的に・主体的に生きることを求めているそうです。主体的にいきてこそ『人間らしい』のだそうです。
高齢になったらということではなく、自分自身の生き方・生きる姿勢を再度考え直してみなければと思いました。