◆第2回 働くよりも"学ぶ価値"◆

今回の視察ではまず最初に、日本での厚生労働省看護課に相当する保健省の副責任者の方に会いました。役所の中に入って驚いたことは、当たり前のことなのでしょうが、職員の多くが頭にカラフルで素敵なスカーフを巻いた姿で働いていること。改めて宗教の違いや実際の生活の姿を実感しました。

さて、今回は担当者とのやり取りを、質疑応答形式でできるだけリアルに再現しましょう。

Q:インドネシアの看護師数は?

A:約30万人。1年間で3万2千人が卒業している。現在、看護教育は概ね3年以上の短大の方向で動いている。20年前までは中卒1・2年というような教育もあった (日本の准看護師教育のようなもの)が、今は統一されてきている。

ただ、いわゆる国家資格のように政府として資格を与える仕組みではない。看護職能団体(看護協会)が試験をして合格者を登録している。

Q:日本は、人口1億3千万人で看護師数は約130万人。それから見るとインドネシアは人口2億2千万人。看護師数が少ないがそれで日本に送り出して大丈夫か。

A:インドネシアには、医療の国民皆保険制度がない。だから医療にかかれない人も多く病院数も少ない。当然、看護師の需要も多くない。

学校を卒業しても看護師として働く場がない人も多いのが実情だ。

Q:日本への看護師の送り出しの大元である看護課は、今回のEPAをどう受け止めているのか。

A:ぜひ、日本に看護師を送りたいと考えている。その大きな理由は次の3点だ。
 まず、学ぶことができる。日本の看護は高い水準だと把握している。インドネシアの看護師たちは勉強したいと思っている。
 次に、先ほども話したが、教育とともに働く場がきちんとあるということだ。インドネシアでは看護師の資格を取っても違う職業に就いている人も少なくない。国は違っても、看護師として働くことができる。
 そして、収入の高さだ。インドネシアで看護師としてて働いた場合の平均給料は、日本円で概ね月額2万円前後だろう。
日本に行けばその10倍の収入が得られる。それは有り難い。

Q:EPAは資格の相互承認ではないため、日本の国家試験を日本語で受けなければならない。合格しない場合は、強制帰国になってしまうが。

A:日本語はとても難しい。我々も合格する人はごくわずかだと考えている。でも、3年で帰国する人が大半であっても、日本で働き、 勉強したその経験は必ずインドネシアの医療や看護の水準を上げていくことになると思う。
  それに、ずっと日本で働きたいと思っている人はそう多くないかもしれない。

Q:看護ではなく「介護」の教育はどうなっているのか。

A:教育も学校もない。これから作る計画も、今のところ検討されていない。インドネシアでは「介護職」という概念はなく、 職業として教育する必要性を感じていない。年を取れば家族が世話をするのが当たり前だからだ。

Q:しかし、今画は看護師だけではなく、「介護職」として来日するインドネシアの人もいる。

A:そもそも、「Kaigo」って何をするのですか?看護とどこが違うのですか?そういう職種がないのですから、管轄する部署はないし、国を挙げて教育する方向性もない。

◆ ◆

(・・・・・・そこで、実際に日本の介護職の仕事の内容やその専門性などを詳しく説明すると・・・・・・)

担当官は、「ベビーシッターのようなものか」と首を傾げるばかり。結局、看護助手(nurse aid)との違いも分からないと言われ、 それ以上説明するのは諦めました。最後に、日本とインドネシアの歴史的な関係についても聞いてみました。

Q:第2次世界大戦のとき、日本はインドネシアを植民地化した。そういう日本をインドネシアの国民の皆さんはどう思っているのでしょう。

A:確かに歴史的には色々なことがあった。しかし、終戦以降、同じアジアの中で日本は、アメリカやヨーロッパの先進諸国と肩を並べて経済大国になり、その恩恵をインドネシアでも受けている。

そういう意味では、今は日本を『頼りがいのあるお兄さん』のように思っている人が多いと思う。だから、今回のEPAに対しても、ちょっと行ってみたい国というあこがれや興味で希望する人もいると思う。

◆ ◆

私は、担当官の一連の話を聞いて驚くことばかりでした。中でも衝撃だったのは、この国には『介護』の概念すらない、ということを改めて実感したことでした。しかもその必要性も感じていないというのです。

名称(職業名)も定まっていないため、フィリピンやアメリカのように「caregiver」(ケアギバー)という人もいれば、日本でも使われている「careworker(ケアワーカー」)と いう呼び方をする人もいたし、ある人たちは、「Kaigo」と言っていました。

インドネシアは平均寿命が約60歳で、高齢化率も5%前後。日本のように少子化が進んでいるわけでもなく、高齢者数は多くても社会的な『介護』の必要性は全く感じていないと言えそうです。

その国からやって来た「介護職」たちに、私たちは『介護とは何か』をきちんと伝えていくという役割があるのではないでしょうか。

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◆第3回 労働組合も積極的支援◆

今回はEPAで日本への看護師・介護職の派遣就労関連の全体を統括している労働者派遣・保護庁との面談内容を紹介します。凄まじい忙しさの中で何とか時間を作って会ってくれたのは、
国際部長のサラギ・ハポサン氏。聞くところによると、マスコミ対応も全部、氏が総元締めとのこと。

ハポサン氏は、琉球大学卒、九州大学大学院卒で、日本語・英語に堪能な方。気さくな若い男性でした。例によって質問攻めで答えて頂きました。

Q:当初の募集定員である看護師200人、介護職300人を大きく下回りましたね。応募が少なかったのは何故ですか?

A:実際の応募者は、看護師171人、介護職125人でした。

少ない理由は、2つ。1つは宣伝募集期間が2週間という大変短い期間だったこと。もう1つは、介護職として日本に行ける条件となった 「大卒プラス6ヵ月の介護研修修了者」の研修をまだ実施していないので、応募できる人が少ないこと。看護学校卒業者に限定したことが原因だ。

でも来年からはどんどん増えると思うよ。むしろ短期間でよくこんなに集まった。

Q:宣伝と募集はどのように行ったのですか。

A:それはいろいろだよ。

…ハポソン氏はそう言いましたが、その後の取材で募集の仕方についてはいろいろな問題もあったことが分かりました(内容は後述予定)。

Q:インドネシアから外国に就労に出かけている人はどのくらいいるのですか?

A:看護師(プラワット)は、830人。クエートに450人、サウジアラビアに368人、アメリカに12人。介護職については、家政婦としてイスラム圏 の国に行っている人は少なくない。しかし、政府間で責任を持って行うのは、今回の日本が初めてだ。これから、ドンドン送りたい。 (※インドネシアでは97年の経済危機以降、海外出稼ぎ労働者数が急増し、2007年には約70万人に達している。政府の統計では高齢者介護で12万人が 海外に出稼ぎに出ているとされているが、受け入れ国側のビザの事務的な区分に過ぎず、実際には家事・育児を担うハウスメイドである)

Q:不安はありませんか。

A:もちろん無い訳ではないが、日本は社会保障制度なども含めてきちんと労働者の権利が守られる。そういう意味では安心が大きい。

Q:先ほどおっしゃった、6ヵ月の介護研修はいつから行われるのですか。民間に委託して行うのですか?

A:今のところ、民間委託はしない考えだ。あくまで政府が責任をもって718時間の研修を行う。
218時間が日本語研修で、500時間は介護の研修に当てる。そのカリキュラムについては、日本政府と相談しながら考えている最中だ。具体的に、 いつからどこで行うかなどはまだ決まっていない。

Q:例えば、日本語での国家試験に合格しないと帰国しなければならないなど、日本側の受け入れ条件がかなり厳しいが、その点についてはどう見ているのか。

A:あまり気にしていない。不合格ならそれでもいい。別な人をどんどん送るから。

気さくで、自信たっぷりにいろいろ話してくださったハポソン氏。国としてとにかく日本にドンドン送るぞという意気込みを感じました。ただ、募集・研修などの費用については、日本政府から多額の資金がインドネシア政府に支払われることになっており、こうした経済的なバックボーンが積極姿勢を支えているとも言えそうです。

さて、この後、インドネシア最大の労働組合の会長に会って、組合としてEPAで看護師・介護職が日本へ行くことについての意見を聞いてきました。

答えは、「大歓迎」。さらにもっと積極的な意見で、政府間で行うだけではなく、両国の労働組合同士が責任を持って人の移動・就労を支援することが出来ないだろうかという意見でした。

政府だけが行うことにやや不信があるからなのか(取材では様々な人から政府・行政に対する不信の声をするのを耳にしました。ひと言で言えば、「インドネシアの公務員は汚職するのが当たり前だから」のような発言)、より良い内容の支援ができる自信があるのか、 はたまた儲けにつながるからかのかは分かりませんが…。

会長との話の中で驚いたのは、インドネシアで働く人の7割は、労働者ではなく個人使用人(インフォーマル雇用人)であるということです。

そういえば、インドネシアの財界人の方々や、通訳にも会いましたが、そう収入が多くないだろうと推測される人でも 24時間住み込みで働く使用人(いわゆる昔の日本の奉公人のような存在)を雇っていました。少しお金持ちになれば、 調理担当・掃除・育児・運転手・そして門番と5人も雇っているというのです。しかし、24時間住み込みでも1ヵ月の給料は日本円で1万5千円程度。 手当のようなものです。

このように、労働者としての概念が日本とはあまりにも違う実態も、承知しておかなければならないことでしょう。

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◆第4回 看護師「家族と一緒に」◆

バリでは国立と私立の2つの看護短期大学を訪問しました。案内して下さったのは、日本の病院で1年間研修した経験のあるインドネシアの元看護師です。アジア諸国などの看護師との交流活動などに力を入れている財団法人国際看護交流協会では、1970年代、 アジア・アフリカから看護師の長期研修受け入れ活動を実施しました。インドネシアからも看護師が多数来日したのです。

2つの看護短大で私たちを待ち受けていたのは今回のEPAに関する、教師陣からの質問攻めでした。
「卒業生が数人申し込んだらしいが、日本語が出来ないけれど大丈夫なのか」「看護師として2年の経験がなくても、介護であれば  日本に行けると聞いた。たが介護職ってどんな仕事をするんですか。イメージ出来ない」「お金は必要ないんですか」などなど…。

ひと言で言えば、とにかく”知らない”のです。「日本で働けるようになる」ということは知っているのですが、 それも「噂で聞いた」というレベルで、誰も詳しい中身は分からないと口を揃えます。私たちに、「学生にもきちんとインフォメーションを したいので、詳しいことを教えてください」というのですが「それは、インドネシア政府に聞いてくださいよ…」。

次に、バリ島で一番大きい病院である中央病院の手術控室で、手術着のままの看護師に会いました。その方も日本の病院で 1年間研修経験があり、私たちが取材に来ていることを聞きつけ、どうしても会いたいといって下さったのです。

「懐かしい!日本には本当に良い思い出ばかりです。日本で働けるようになったんですって。どういう人が行けるの? この病院では数百人の看護師が働いているけれど、誰も詳しくは知らないわ。出来ることは何でも協力するわ」と、 忘れかけていた日本語を一所懸命思い出しながら話していました。

政府は「情報はすべてインターネットでも公開している」と言っていますが、都市部の大規模病院でさえこうした状況であることに、 正直愕然としました。かえって、短期間によく300人近い応募者があったものだと不思議に思ったほどです。

ただ、複数の病院関係者からはこんなことも耳にしました。

「今回、バリ島からは50人集めなければならないが、反応が今一つ。集まらなくて、あちこちの島から人を集めなければならなかったらしい」と。 事実なのかどうかは分かりませんが、政府間協定で行われる専門職の人的(移動)交流に、不透明さが見えてなんとなく不安になりました。

一方、前出の看護大学教師陣からは、当の看護師たちも、それほど乗り気ではないという話を多く聞きました。

「インドネシア全体はよくわからないけれど、少なくともバリの看護師たちはあまり希望しないと思う。看護師として 働く場所があれば、家族と暮らすことを選ぶと思います。結婚が比較的早いし、家族をとても大事にするから」。

中央病院の看護師さんにも、私は「日本語が話せるのならすぐに日本の現場で働くことが出来ますよ。 また日本に行きませんか?」と聞いたのですが、彼女は「私が日本に行ったら主人が浮気をするからダメなのよ」と 笑っていました(隣にいたマスコミ人の夫は、にこにこしながら手で“どうぞ行ってくれ!稼いできてくれ!”と表現していたのですが)。

確かに、雇用の場が少ないインドネシアで自国で専門職として認められ、活躍する彼女たちであれば、 海外よりも家族とともに暮らすことを選ぶのも不思議ではありません。

さて、看護大学では実習室や寮なども見せて頂きました。実習室は比較的シンプルで、多子の実情を反映してか 出産など産科部門が多い印象でした。また、学生が寮の中を案内してくれました。1部屋に2段ベッドが3つ(6人分)、そして共通の勉強机がありました。

ちょうど授業中のクラスにもお邪魔しました。看護師のキャップを着けたユニホーム姿での授業です。日本では今は白衣姿での講義風景はほとんどありませんので、なんだか新鮮に見えました。学生の目がとてもキラキラしているのも印象的です。

教師の計らいで、ちょっと授業を中断。

「日本からのお客さんの看護師さんです。今度日本に働きに行けるようになったんですよ。2年の経験があれば日本に行く 資格ができるのですが、みなさん行ってみたいと思いますか?」

学生は、周囲の人を見回して恥じらいながら、「は〜い」と、ほぼ全員の手が上がりました。 しかし「『介護・care worker・カイゴ』だったら、 経験がなく卒業してすぐにでも行けますが、どうですか」の問いには、反応がなく首を傾げるばかり。

家族を大事にする国民性と,「介護」を職業としてイメージ出来ない事とは無関係ではないでしょう。さわやかな印象の 20歳前後の看護学生に、ほのぼのとした気持ちになったと同時に、今回のEPAに関して課題が大きいのは、看護師よりも介護職の方だと改めて実感したのです。

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◆第5回 介護職訓練校もアピール◆

社会的介護の必要性が無く、「介護職」がいないインドネシアに「介護訓練校」があると聞き、見学に行きました。 ジャカルタから車で1時間ほどのところでした。

本連載第3回でご紹介した労働者派遣・保護庁担当者の話の中でも出てきましたが、インドネシアでは、 様々な職種が海外へ出稼ぎ労働に出ています。実質的には諸外国への派遣・あっ旋業務は民間事業者が行っており、 職業ごとに派遣訓練校も多く存在します。今回訪れたのはそうした訓練校の1つです。

台湾向けに特化した介護職の訓練コースがありました。経営者の説明の概要は、次の通りです。

「13年前に会社を設立した。外国へ出稼ぎに行く労働者向けに、さまざまな訓練をしている。これまでの実績は、 韓国に工員を12,000人、オランダに看護師200人、そして台湾に介護職(care giver)3,000人」

「オランダは、歴史的に長い間インドネシアを植民地化していた国でもあって、オランダ向け看護師の技能と言語の修得は、 6ヵ月のコースを設定して力を入れている」

質の高い教育を売り物にしていると、自信たっぷりに話します。肝心の台湾への「介護職」派遣訓練については、 5年前から行っているとのことでした。

教育はこちらも看護師と同様6カ月間で、中国語と介護技術をみっちり学ぶ内容だと言います。訓練期間中、 学生は全員寮生活を送りますが、受講料と合わせてかかる費用約1,000万インドネシアルピア(約8万円弱)は、 始めに払うのではなく、実際に台湾で働いて給料をもらい始めたら、そこから一部を天引きする仕組みとなっているそうです。

台湾での滞在期間は政府間合意で15カ月という約束事になっており、入学者の条件は@外国で働く意欲があること A健康であることB言葉を覚えられる人―の3つ。実際には、22〜30歳の若い女性が多いとのことでした。

台湾での生活は、寮や施設があるわけではなく、雇用主の自宅に泊り込みで働くスタイル。これを聞いて、 「おそらく実際の仕事は、高齢者の介護だけではなく、家族の分の食事作りや育児など家事全般に渡るのではないだろうか」と 想像しました。いわゆるハウスメードの役割が大きいのではないかと思うのです。

「ぜひ、見ていって下さい」と案内されたのが、介護実習の場面です。訓練生たちが行っていたのは、車いすのトランスファー(移乗)、ベッドメーキング、全身清拭でした。

ちょうど、取材に同行した白仁田敏史さん(前日本介護福祉士会副会長)が体が大きくて介護が大変そう、との理由で急きょモデルに。若い訓練生は大きな目をクリクリとさせて、恥じらいながら白仁田さんへの介護を開始しました。傍らでは教師がハラハラした様子で手や口を出していましたが、曲がった坂道を加減しながら車いすで移動したり、ベッドからの移乗も体重の重いモデルを上手に介護していました。

ですが、看護師の私から見たところ、全身清拭の方法では一般的なやり方と異なり、「オヤ?」と思う場面もありました。 どうしてそういう方法なのか、疑問を教師に伝えてみたのですが、上手く答えられません。

一つひとつのケア技術にはエビデンスがある訳です。それをきちんと説明し、学生に伝えることが大事なことだと思います。 一生懸命に行っていることは非常に伝わってきました。しかし、まだまだ足りない部分はあるかなあ…と、勝手に推測したのです。

学生寮も同じ敷地内にありました。案内してくれた学生の何か新しいことへ挑戦しようとしている真剣な眼差しが印象的でした。

日本では、ほとんど見受けられず過去の産物となった“寮での共同生活”(看護学校はかつてそうでした)ですが、 ひとつ屋根の下で暮らし、学ぶことは仲間との連帯を自覚するメリットもあります。それを現在実行している若者たちです。

前述の白仁田さんは、ちょっと羨ましそうに「一緒に働きたいなあ」とつぶやきました。心からそう思わせるような何かがあるのだと共感します。

さて、経営陣には今回のEPA始動についての意見も聞きました。

Q:EPAで日本に看護職・介護職が行くことが出来るようになりましたがどう思いますか?

A:今回の条件は厳しいと思っている。しかし、大丈夫。自分たちは今、ケアギバーとして台湾で働いた経験のある人を 再教育して日本に送ることが適切ではないかと考えている。6カ月の介護の研修終了後、台湾で15カ月介護の経験がある。 日本向けに再教育するとちょうどいいのではないかと思っている。

Q:要望・希望は何ですか。

A:政府間同士ではなく、教育は早く民間に開放した方がうまくいくと思う。私たちの所には、日本からたくさんの民間企業や法人の人が来る。 民間同士が行う方向に、ぜひ、そうなってほしい。そのときの具体案をたくさん持っている。私たちは、いい人材を日本に送る自信がある。

今年10月にはフィリピンもEPA批准しました。来年は、インドネシアを合わせれば1,000人規模が来日することになるかもしれません。 彼らが言うように、そのうち政府主導から少しずつ民間事業者がこのEPAにかかわるようになる可能性も無いとは言い切れません。 ですが、きれい事では済まされない現実も多く出てきそうです。様々に不安が大きいのです。

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◆第6回 "専門職"育て合う関係に◆

「高齢者の介護は家族介護が当たり前」であるとされているインドネシアで、では、家族がいない人の介護はどうなっているのだろうか? と思いをめぐらせるのは、私だけではないでしょう。現地に視察に入ってからムクムクと大きくなってきた疑問でもありました。

視察研修に出かけてジャストタイムで見学したいところに行かせていただくことは、実際には大変なことなのですが…。バリで「空白時間をどう使いましょうか?」と言ってくださったコーデイネーターに、つい「それでは、老人ホームのようなところを見学したいです」 と伝えたところ、その場であちこちに電話をしてくれて、なんとOKが出ました。

訪れたのはバリ島の中心部にある老人ホームでした。

8人ほどが個室を持ちながら一緒に住む家を見て、内心、「へー、4人部屋の日本の特養ホームより進んでいるんだ」と思いました。 大きな集合住宅・施設ではなく、こじんまりした“グループホーム”、日本式にいえば、「個室型小規模養護老人ホーム」といったところでしょうか。 数棟ありました。私たちが会ったのは、まだ介護が必要ではない、日常生活は自立している身寄りのない高齢者でした。

中でも印象的だったのは、私たちが日本人だと分かったとたん、“海行かば”を日本語で歌う男性でした。

“海ゆかば…”私たちも知らないような戦争の時の歌を日本語で歌うのです!…。何だか胸が詰まりました。当時、こんなことも日本軍がインドネシア人に強要したのだろうか…。

その人にしてみれば精一杯、私たち日本人を歓迎してくださったのでしょう。私たちは、インドネシアの民族衣装をそのまま 日常生活で身に着けているその人から、やしの葉で作った箒(ほうき)を実費で譲っていただきました。

共用の庭は誰もが集えるようになっていて、公務員服を着た職員がそばにいるだけでした。日本の養護老人ホームの原型であった 「身寄りのない人の収容・生存の保障の場」なのだと思います。

「寝たきりの人はいないのですか」という私たちの問いに「いますよ、別棟です」と連れて行ってくれました。 要するに、要介護の人の施設です。それは、養護老人ホームと同敷地内にありました。

とても印象に残っているの2人の高齢者がいます。

まず、1人は認知症があり、見知らぬ女性を見ると娘と思い込む方です。彼女は、私を見ると抱きしめて 「よく来たね。会いたかったのよ」と言いながら、何かを訴えます。

ギャッヂベッドはなく、木製の平坦なベッドの真ん中が空洞になっていて、その下にバケツが置いてある状況です。 排尿・排便の時には、下着を身に着けていないその身で、お尻をまくり、穴に用を足すのです。そして職員は、そのバケツを捨てるだけ。

私には、その人が何かを訴えているような気がしてならなかったのですが、認知症もあり、言葉も不明瞭です。 でもその姿が何ともいとおしく見えました。

2人目は、大腿骨頚部骨折をして寝たきりとなっていた女性です。私を見るなり、両手を差し出し“起こしてくれ”と いう意思表示をしていました。私は、その時、荷物を持っていて手が自由にならなかったので、そばにいた介護福祉士の 白仁田敏史さんにお願いして起こしてもらいました。

骨折をしていても、上手にスムーズに端座位にする支援は、さすが介護のプロです。するとその女性は、 涙を流して起きたことを喜び、白仁田さんにしがみついていました。

その姿を見て私は、職員の方に、「この人をどうして起こしてあげないのですか」と思わず聞くと、女性スタッフは 「いいのよ、この人はいつもこう言うのだけれど、ボケているし…。放っておいていいのよ。みんなにそんなことは出来ないわ」と言い放ちました。

私はさらに「日本には、ギャッヂベッドといって自動的に上半身を起こすベッドがあるし、職員も起こすための教育を受けています。 あなたたちは、この人を起こすことは出来るのですか?」と聞いてみました。すると、彼女は首をかしげて「??? さあ?」。

つまり、寝たきりの高齢者専用のホームであっても、職員は行動制限のある人を安楽にしてあげる技術・方法を習得していないのです。 これでは、寝たきりから回復することはもちろん、ただ衰えていくスピードを早めていることになりかねません。

「介護」の専門的な技術とは何か、日本でもまだまだ論議が不十分であるのは確かです。

しかし、私はこうした実態を目の当たりにして、少なくともこの国からケアの専門職を受け入れ、 育てていく役割がある日本において、早急に介護の専門性を論議して深めていかなければならないと痛感しました。 それが、インドネシアとお互いに高め合う関係になる一歩だと思います。

決して、安上がりの労働力として対応することは禁物です。両方の国にとって、介護を受ける日本人にとっても不幸につながります。

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◆第7回 "幸せ"の違いを実感◆

生きていくこと、生活をすることを自分の力で出来ない人への“助け”を日本では「介護」と言っています。しかし私は、 認知症の人へのかかわりを始めてから「看護・介護・ケア」という言葉が使えなりました。今は、「支援」「日常生活支援」などと表現しています (詳しくは、「生き返る痴呆老人」筑摩書房刊をご参照ください)。

さて、その日常生活支援は、人々の普通の生活の仕方・生き方が基本になります。それは、当たり前ですが国により気候・習慣・宗教など、 様々な要因でかなり違ってきます。インドネシアに行こうと思った時、私はこの国の庶民が「どんな暮らしをしているのか」に一番関心がありました。 自分の目で見て、知りたいと思ったのです。

今回、私のインドネシアでの視察・取材のかなりのコーデイネートをしてくださったのは、ジャカルタで会社経営をしているインドネシア人の Aさんご家族です。Aさんの話は、私が知らないことだらけでした。

Aさん(70代)の話。

「第2次世界大戦後、日本がインドネシアに対して戦後賠償をしなければならない状況だった。それを日本の政府はお金を支払うのではなく、 賠償留学という形で1年間に100人以上、数年間に渡って若者を日本に受け入れ、教育の機会を保障した。その若者たちの中には、日本の大学を卒業し、 日本で企業マンになったり自国に帰って重要なポストについて活躍している人もいる。日本で今も勤務している医師も、またその2世が日本で開業医 として働いている人もいる」

「私は、東京の某大学卒業後、経済界で日本とインドネシアの間を取り持ち、たくさんの仕事をしてきた。定年後自分で会社を起こし、 その後やはり日本で学んだ息子が後を継いでいる」

Aさんの奥様は日本人。4人いる子どもさんは、それぞれアメリカ・オーストラリア・日本などに留学し、海外で家庭を持って暮らしている人もいるそうです。大きな家で家族6人と数人の使用人が住み込みで働いています。奥様はほとんど家事をすることはなく、使用人に任せています。 食事を作る人、洗濯をする人、車を運転する人など、役割に応じて使用人を雇っているのです。

「今でも日本によく行く。今回のEPAには非常に興味を持っているけれど、心配もしている。僕に出来ることは何でも手伝うよ」とAさん。

本人は「金持ちではない」と言いましたが、格差が非常に大きいインドネシアの中であっても、やはり『上』の方の生活の姿なのだと思います。 「介護」が必要になったら、おそらく泊り込みの個人契約の使用人が担うことになるとおっしゃっていました。

視察が出来ない週末、めったに行けないインドネシアで世界遺産を観光することにしました。ジョグジャカルタというジャワ島にある町で、 もともとはインドネシアの首都でもありました。ボロブドゥールやプランバナン寺院群などの世界遺産はさすがに一見の価値がありました。

しかし、ここで私にとってはもっと面白い出会いが2つあったのです。1つは、通訳兼ガイドをしてくれたBさん(40代女性、日本の大学で学んだ経験あり)です。 その後思いがけない展開になり、日本でEPAに関連する仕事をすることになるのですが、それは次回の報告としましょう。

2つ目の出会いは、通訳で親しくなったBさんに「普通の人の家に遊びに行ってみたい」とお願いしたところ、連れて行っていただいたBさんの知人です。

そのお宅の敷地内に入ったら、見慣れない光景がありました。草木で編んだ板のようなものに穴があり、上からはロープがつるされています。 何をするのかと思ったら、水をくみ上げました。井戸だったのです。慣れた手つきで竹のとい伝いに水を送り…。井戸水の生活を送っています。

「ご主人は?」
「あのてっぺんですよ」とやしの木の上を指差します。樹木から採れる独特の甘い水を取りに行って、それを濃縮固形にし、市場で売るためだそうです。

息子さんと暮らしている60歳代というご夫婦が快く笑顔で迎えてくださり、家の中を案内し、本場のジャワティをご馳走しながら話をしてくださいました。

「食事は、土間にある釜で作るがあっという間に出来る。大したものを作るわけではないから。風呂には入らない。水浴びする」

寝室も見せていただきました。赤道直下で厳しい暑さですが、小さな窓しかなく、高さが50pほどの板の上に敷物を敷き寝起きしている様子でした。

食事・排泄・入浴(清潔保持)をその人らしく保障することが「日常生活支援」です。この国の人が満足する支援と日本人の私たちが満足する支援の具体的な姿は、 かなり違う部分があると思います。しかし、違いはあっても、最も大事なのは本人の気持ちの自立支援であることは確かではないでしょうか。

Bさんの友人は、突然訪れた私たちを、ちょっと恥じらいながら日に焼けたしわくちゃの素晴らしい笑顔で迎えてくださいました。そして、こう聞かれました。 「日本の皆さんは、毎日忙しく働いているんでしょう。それで幸せなんですか?」と。

あなたなら、どう答えますか…。

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◆第8回 サポート団体に協力を◆

今月11日、日本とフィリピンの間でEPA(経済連携協定)が発効されました。来春には、インドネシアとフィリピンそれぞれから500人、 合計1,000人程度の看護師・介護職候補生が来日することになるでしょう。両方の国を訪問した印象・感想をいくつか述べます。

昨年はフィリピンへ、今回はインドネシアを訪れ、両国に行ってはっきり分かったことは、まず、『フィリピン』と『インドネシア』の事情は かなり違っていて、同一視は出来ないということです。

もちろん、国も人々の生活も違いますが、大きく違うのは@『介護』に対する認識A国外で働くことに対する意識とその実態 B国民・諸機関の周知度―です。

フィリピンは、インドネシアと同様家族介護が主体で国内の需要・職場は極めて少ないのに介護訓練校が約1千校もあるといいます。 それは、世界中に介護職の人を出稼ぎに出しているからです。世界中の評判が良く、求められている。ですから「ケアギバー(caregiver)」は、 フィリピンではよく知られた職業になっています。

しかし、インドネシアには『介護』の概念すらない。名称(職業名)も言葉すらも存在しないのが実情です。訪問先で一番質問が多かったのが 「介護って何をするんですか」でしたし、学校も海外にハウスメードとして出稼ぎ労働に行くための訓練校が中心です。

そういう意味では、介護について真っ白な状態のインドネシアから来日する人たちはもちろん、国民に対しても、現在の日本が 到達している専門職として行う「プロの介護」をきちんと理解し、その技を身につけていただくことは両国にとって大事なことだと思います。

また、GDPの1割を海外での出稼ぎによる仕送りで占めているフィリピンとの違いも感じました。英語が公用語となっているかどうかも関係するようです。 海外就労に慣れている国(歴史のある国)、そうでない国との違いが、今回のEPAの内容にも影響していると言えるかもしれません。

さらに痛感したのは、『看護師』の問題と『介護福祉士』の問題は本質的に違い、一括りにせずに対策も異なるべきだということです。

『看護』は世界中で150年以上の歴史があり、そういう意味ではインターナショナルです。概念も実践もおおよそ世界共通です。 しかし、「介護」は概念も実際に行う内容も国によってかなり違っています。身体介護といわれるボディータッチを重視する国と家事支援を 介護の仕事として位置づけるかどうかなど、そして社会的な評価(給料など)もまちまちです。

日本でも専門職として職業があるけれど、いまだに「介護って何か」が問われています。「これまでのやって差し上げる『介護』はやめよう」 「そもそも『介護』という呼称をやめよう」という声もあります。

外国人の看護師・介護職受け入れについては、不安だらけです。その理由は色々あるのですが、特に重大なのは、 日本政府の認識と対応のあいまいさです。

厚生労働省は、今回の来日は、EPAという国家間の経済上の約束で人の移動を決めたのであり、日本の介護現場の人員不足の解決策 としてではないとはっきりと言っています。

しかし、私が最も強調したいのは、外国から人を受け入れる以上、日本政府は要介護・病人の看護・介護を今後どのように しようとしているかのデザインをきちんと示すべきだということです。

看護師も介護職も現場は危機的な人手不足です。解決策としては、賛否両論がありますが、私自身はまずは日本人の看護師・ 介護職が安定的に就労できる労働条件・待遇の改善などを優先すべきだと思います。

それが土台にあれば、後から外国からの支援をお願いしなければならなくなったとしても受け入れる姿勢や条件はかなり違うのではないでしょうか。 今のEPAでの日本語での国家試験に合格しなければ帰国する仕組みなどは、日本にやってくる方々に対しても非常に問題が大きいと思います。

他の先進国が他国労働力にかなり依存しながら社会保障を行っている実情の中で、日本はどういう道を選択するか。 経済不安が大きいこの21世紀前半に社会保障を誰がどう担い、その経済的な負担をどうするか。政府は、そのことを明確に示すことが求められているのです。

とはいえ、すでにEPAの門戸は開かれたわけです。在日のインドネシア人はわずか2万人ほどしかおらず、日本語を十分習得していない インドネシア人看護師・介護士たちを、支える何かが必要なのではないでしょうか。

職場でつまずいたり、個人生活の上でも困ることが多々あると思います。そんなときに堪能なインドネシア語でいつでも相談に乗り、 支えていく仕組みができないだろうか…。

そう考えた私は『ガルーダ・サポーターズ』(仮称)という団体を立ち上げる計画に着手しています。EPAに興味を持ち続け、 出来ることをする心ある個人・団体の民間を束ねて実践していく団体です。

今回の訪問で知り合ったインドネシア人の中にも、この活動に積極的に協力してくれる人がいて、現在始動に向けて準備しているところです。 彼らとよく知り合い、団結してそして日本の看護・介護を良くしていこうとする意欲を持った仲間として、一緒に手を取り合っていく―。

それがまずは、私たちができる第一歩なのではないでしょうか。皆さん、ぜひご協力を! 詳しい情報は、 info@miyazaki-wakako.jpまたはhttp://www.miyazaki-wakako.jp のブログでお会いしましょう。(終わり)

EPA始動と私たちの課題
―外国人看護師・介護士受け入れの視点

【大阪保険医雑誌】(大阪府保険医協会)2009年3月号より 宮崎和加子

2008年8月にインドネシアから来日し日本語の集中研修していた208名の看護師・介護福祉士候補者(以下、候補生という)は、 1月末から2月中旬にかけて、全国各地の病院・介護施設現場での研修・就労に着任している。

そして昨年10月8日には、フィリピン上院議会で経済連携協定(EPA)の批准。2009年度からは、インドネシアとフィリピンの2カ国からの 看護師・介護職受け入れとなる。

EPAによる看護師・介護福祉士受け入れについては、賛否両論さまざまな意見があるが、ここではその是非ではなく、 実際に来日が始まった現在、私たちの課題が何なのかを考えてみたい。

 

フィリピンとインドネシアを訪問・取材

 

私は、2つの理由でこの問題にかかわり始めた。

一つはこのことが日本の看護・介護に長期的にかなり大きな影響を及ぼす可能性があること。慢性的な人員不足などで疲労困憊 している看護・介護の現場にとって、このEPAによるインドネシア・フィリピンの看護師・介護職の来日は、大事件である。解決の方向なのか、 それともさらに事態を悪化させるきっかけになるか……。

もう一つは来日する候補生の人権をきちんと守る必要があると思ったことである。単純ではないこの問題を、多面的にきちんと情報収集し、 そして日本のみなさんと共有しいっしょに考えあっていくことが大事だと思ったのだった。

そこで、まず送り出す側の国や人を知り、それぞれの国の事情や本音を知ろうと訪問・取材に出かけた。
フィリピンは2007年11月、インドネシアは2008年7月。(詳細は以下参照。「社会保険旬報」5月11日・21日号、「週刊東洋経済」2008年11月1日号、「シルバー新報」10月から8回連載)。

 

両国の違いと共通性

 

両国で取材してわかったことは、『フィリピン』と『インドネシア』の事情はかなり違っているということだ。

@『介護』に対する認識の違い
  両国とも、自国内での「社会的介護」の必要性がなく、インドネシアは「介護」という概念も言葉すらなくイメージしにくいようだった。 なのに、フィリピンは1千校ほどの介護訓練学校があり、他国に向け多数の介護職を送り出しているが、インドネシアはそうではなく介護の学校はほとんどない。

A国外で働くことに対する意識とその実態(「外貨稼ぎ」について)
 介護職・看護職の海外での就労実態が違う。(フィリピンは多い。インドネシアあまりなし)。

B宗教の違い
 フィリピンは多くはキリスト教、インドネシアはイスラム教が約85%である。

C言葉
 フィリピン公用語は英語で、インドネシアはインドネシア語。

D日本人のなじみ度
 日本人のなじみ度(在日フィリピン人20万人、在日インドネシア人2万人)が違う。
  両国の共通点は、経済的には決して豊かな国ではないが、ホスピタリテイがあり、純朴でpureな人たちという印象である。 

 

今回のEPAに基づく候補生受入れに関して危惧されること

 

列挙すると、次のようなことが挙げられる。

@日本の看護職・介護職の待遇悪化につながらないか

最も危惧していることの一つは、アジアから来る専門職の就労によって、日本の看護・介護職の労働条件・待遇が改善されない可能性があること。単なる労働者としてではなく、専門職ということをきちんと位置づけ、国籍は問わず専門職の待遇・労働条件の改善が必要である。そのことは、結果的に患者・利用者にサービスの質に大いに関係する。

 

A日本の看護師・介護職の重大な人員不足と無関係という政府の姿勢

厚生労働省は、今回の来日は、EPAという国家間の経済上の約束で人の移動が決まったのであり、日本の人員不足の解決策としてではないと はっきりといっている。そのために受け入れ基準が来日する側から見ると条件がよくない。
→受け入れ基準の見直し(国家試験受験要領・試験の結果によるその後 他)
日本の看護師・介護職の重大な人員不足に対する抜本的な対策がない。その一つとして外国人看護師・介護職受け入れを検討するのであれば、国民やいっしょに働く看護師などとトコトン協議しながら考えること

私が、最も強調したいのは、日本政府が要介護・病人の看護・介護を今後どのようにしようとしているかのデザインが見えないということである。 人員不足の解決策として、まずは日本人の看護師・介護職が安定的に就労できる労働条件・待遇の改善などを優先すべきである。それでも不足するのであれば、 外国からの支援をお願いしなければならないという立場だと思う。

他の先進国が他国労働力にかなり依存しながら社会保障を行っている実情の中で、日本はどういう道を選択するか。経済不安が大きいこの21世紀前半に社会保障をだれがどう担い、だれがその経済的な負担をするか。そのことを明確に示すことが求められている。
低賃金労働者扱い・目的なら中止すべき
   国民に不利益が! 現場でも混乱 

 

B看護師と介護福祉士は基本的な問題が違う。別な対策が必要

看護は、インターナショナル。その技は世界共通プロ。要するに言葉の問題である。

しかし、介護は現在はその国により考え方や社会的な地位が大きく違う。単なる主婦の仕事の延長線で誰でもできるという認識をしている国と、 看護師と同等の教育で同等の賃金・社会的地位の国とがある。

→受け入れる日本では、現在の介護職の状況のめざすところを見極めた上で、外国からの人をどう教育し受け入れていくかをかなり論議して 合意を得ながら進めなければならない。

 

Cプロとしての『日常生活支援』の力を

日本で『介護』ではない、『日常生活支援』としての発想・実践が始めている。介護は単なる「おむつ交換ロボット」のような仕事ではない。 プロの仕事をどう位置づけるかが課題である。

「外国人労働者問題」ではなく、「外国人専門職就労問題」と位置づけてはどうだろうか。

 

D日本での様々な差別や私生活上の孤独や困難に対する対応策が少ない

 

E悪質な仲介斡旋業者の介入などの不安

これまでの他国の実情を見聞すると、仲介斡旋業者が金儲け主義に走り時に人身売買といえるようなことがあるという。それは絶対に阻止 しなければならない。

 

受け入れ側の日本の現場の問題・課題

 

@現場の関心の低さ

まず、現場で働く看護師・介護職がこの問題に関心を持ちながらもきちんと考えていない。このことが、要介護の人や病人、また自分たちにどういう 影響を及ぼすのか。

 

A受け入れ医療・福祉機関の温度差

大きくは2種類に大別。一つは、“足りないからどの国の人でもいい、働いてほしい”もう一つは、『国際協力・国際親善』。“お金がかかっても、 これからはグローバルの時代。自分の国だけで何とかしようという時代ではない”と。

しかし、実際に受け入れが始まってみて、その受け入れ方にかなり差が出ている。

 

B差別意識は出てこないか

日本人の中に、東南アジアの人たちに対する差別意識が潜在的にありはしないだろうか。それが介護現場でどう具現化されるか……。 介護を受ける高齢者が、介護をするアジアの若い介護職をどういう目で見るか。同僚として働く専門職は? 真に、日本人が人権・平等意識を持たないと2重3重の複雑な差別問題露呈になるのではないだろうか。

 

候補生の不安の声

 

全国の現場に向かう前に彼らにインタビューしたところ多くの不安を口にしていた。

  • ■職場の同僚に本当に受け入れられるかどうかが不安
  • ■セクハラはないか。あったらいやだ
  • ■日本でいろいろな事件が起きているが、暮らすのに本当に安全か
  • ■口にあった食べられる食事の確保ができるかが心配
  • ■給料について
    • ・きちんとした説明をしてもらっていない。されても言葉がうまくいかず???
    • ・僕は、給料が12万円だと説明された。それで生活していけるのか。
  • ■2月の給料がどうなるのかが心配

    1月はほとんど働いていないので、2月の給料はあまりないのでは? そしたらどうやって暮らしていけばいいのか。

  • ■国家試験に合格するのにはどうすればいいか。
      文化が違う日本での生活のこと、職場での仕事のこと、国家試験対策のことなどだった。実際の現場にいってどんな気持ちでいるだろうか。

 

できることを一つでも ―『ガルーダ関連団体』の立ち上げ

 

始まった現在とすれば、何をしなければならないか、あるいは何ができるか。私は、来日した人たちが種々の差別や偏見を受けず、 不愉快な思いや不幸な事態にならないように、できることをやらなければと思った。気持ちよく研修・就労できるように。

そこで、インドネシアに同行した仲間と支援する団体を作ろうと呼びかけて現在その準備をしている。

一つは、『ガルーダ・ネットワーク』という団体が1月末に結成した。これは、来日した候補生自らの主体的な会である。二人のインドネシア人看護師候補生が呼びかけ代表となり、仲間に呼びかけて現在50名ほどが入会している。仲間同士の情報交換・励ましと同時に、 自分たちのことを自分たちの言葉で社会に発信していくことが大事である。

二つ目には、彼らあるいは『ガルーダ・ネットワーク』という団体を全面的に支援する『ガルーダ・サポーターズ』という草の根の市民団体結成の準備である。6月上旬の結成大会を目標に準備し始めている。しかし、もう現実は動いているので相談しながら活動を始めている。たとえば、「SOS電話相談」と「現地訪問相談活動」である。インドネシア人がSOSの電話にいつでも出て、事務局と連携して対応に当たる。必要時全国の現場に出向いて相談にのる活動を始めている。次々と協力依頼・入会申し込みが届いている。市民が自主的にこういう活動をしようと提案し、それをいっしょに作り上げながら形作っていく方向である。 現在、論議し準備を始めるであろうことは、会員同士の携帯電話での無料コミュニケーション支援とか、日本語継続学習支援策検討、さまざまなアイデアが届いている。それが職種に関係なく、多分野の方々である。

読者のみなさんもどうぞサポーターに! 

事務局

ある人がこういった。「人道支援ですか」。また、ある人は「労働組合作りですか」と。

可能性と危険性の両面を持つ、このEPAによるインドネシア・フィリピンの看護師・介護職就労問題を、もっともっといろいろな場で討論をすることが大事である。

 

これでいいのか経済連携協定

★看護・介護職がやってきたインドネシア最新事情見聞記
日本への期待の大きさ、「介護」という概念がない国情…‥。インドネシアで見たこと。

2008.11.1 週刊東洋経済 宮崎和加子

インドネシアから8月に来日した208名の看護師・介護福祉士候補者は現在、東京などで6カ月間の日本語研修を受けている。そして10月8日には、 フィリピン上院議会で経済連携協定(EPA)が批准された。来年からはインドネシアとフィリピンの2カ国からの看護師・介護職受け入れとなる。

受け入れに対する賛否はさまざまだが、受け入れが始まった以上、来日した人たちが種々の差別や偏見を受けず、不愉快な思いを抱いたり不幸な事態にならないように、できることをやらなければと思っている。というのは、筆者は現在、「看護介護政策研究所長」として、看護・介護の現場と政策を結び付ける仕事をしているからである。約30年間、看護師として、特に在宅ケアや訪問看護、認知症問題に取り組む中で、現場の実情や問題、解決の糸口を社会に 発信することが筆者の役割であると認識している。

慢性的な人員不足などで疲労困憊している看護・介護の現場にとって、EPAによる両国の看護師・介護職の来日は、大ニュースだ。それは問題を解決の方向に向かわせるのか、それともさらに事態を悪化させるきっかけになるのだろうか……。

そのことを考えるに当たって、送り出す側であるインドネシアの実情を知ろうと7月に同国を訪問した。同様の目的で、昨年11月にはフィリピンを訪問。 フィリピンと比較をしながら、インドネシアからの看護師・介護職受け入れの問題点・課題を探ってみた(フィリピン訪問については、『社会保険旬報』5月11日号および5月21日号に詳述)。

 

初めての本格派遣 「日本行き」に興味津々

 

インドネシアでは10カ所以上を訪問し、四十数名の方々に会うことができた(ほかに多数の学生と面談)。訪問先は同国の保健省看護課、 労働者派遣庁国際局、看護学枚、労働組合、老人ホーム、台湾向けに介護職を派遣する民間の介護訓練校、病院、クリニック、経済界の方、一般人など。 実に多岐にわたった。そして、率直な意見交換ができた。

看護師・介護職が日本へ行くことについて、大方のインドネシアの人々は、好意的かつ興味津々で見ているという印象だった。これまで、 メイド的な仕事で中近東などの国に働きに行く経験こそあれ、政府間の正式な就労支援、それも専門教育を受けた看護師・介護職の派遣はまったく初めてなのだ。 労働者派遣庁国際部長の話では、インドネシアから外国に就労に出かけている看護師は、830人(主にクウェート、サウジアラビア、アメリカ)にすぎず、 介護職はおそらくいないという。

最初に会ったのは、日本でいえば厚生労働省看護課の副責任者に当たる人物だった。そこで、意外な話を聞いた。インドネシアでは看護師が余っているのだという。

インドネシアには、登録数約30万人の看護師がいる(看護学校卒業生は年間約3万2000人)。

「日本は、人口1億3000万人で看護師数は約130万人。一方のインドネシアは人口2億4000万人。看護師数が少ないが、それで日本に送り出して大丈夫か」(筆者)。

「わが国は、医療の国民皆保険制度がない。だから医療にかかれない人も多く、病院も少ない。当然、看護師の需要も多くない。 学校を卒業しても看護師として働く場がない人も多い」(副責任者)。

「両国政府間の約束で初めて国外に看護師などを送る側の看護課は、そのことをどう受け止めているのか」(筆者)。

「ぜひ、日本に看護師を送りたい。その理由は、@学ぶことができる。日本の看護は高い水準だ、A働く場がある。国は違っても看護師として働くことが できる、B収入が高い。インドネシアで看護師として働いた場合の給料は、月額2万円前後。日本に行けば、その10倍の給料になる、ということだ」(副責任者)。

「日本の国家試験を日本語で受けて、合格しない場合は、強制帰国になってしまうがどう思うか」(筆者)。

「日本語はとても難しい。合格する人はごくわずかだ。でも、3年で帰国することになっても、それはそれでいい。日本での経験がわが国の医療や看護の水準を上げていくことになると思う」(副責任者)。

 

まだ「介護」という概念がない国

 

「インドネシアには介護の教育システムや学校はあるのか」という筆者の問いへの答えは「ない。これから作る計画も検討されていない」というものだった。インドネシアでは「介護職」を教育する必要性を感じていない。 年をとれば、家族が世話をするのが当たり前だからだ。

「そもそも『kaigo』って何をするのですか」「看護とどこが違うのですか」「ベビーシッターのようなものですか」「看護助手と何が違うのですか」という のが、大方の関係者の意識だ。「そういう職種がないのだから、管轄する部署はない」とも言う。要はインドネシアには「介護」の概念すらないのだ。 名称(職業名)も定まっていない。「ケアギバー」(フィリピンやアメリカではそう呼ぶ)と呼ぶ人もいれば、私たちが「ケアワーカー」と言うと、 同じ呼び方をする人もいた。ある人たちは、「KAIGO」と呼んでいた。平均寿命が約60歳。高齢化率は5%前後。高齢者は数こそ多いが、家族介護が当たり前で、 社会的な「介護」の必要性は乏しいようだ。

「看護師」と「介護福祉士」をめぐる状況は、かなり違う。まったく別の対応が必要かもしれない。

 

両国の取材でわかった違いと共通性

 

両国を取材してわかったのは、事情がかなり違うということだ。

まず、「介護」に対する認識の違いがある。フィリピンは他国に多数の介護職を送り出しているが、インドネシアはそうではない。次に国外で働くことに 対する意識と実態が異なる。そして第三に宗教の違い(キリスト教とイスラム教、ヒンドゥー教)がある。共通点は、経済的には決して豊かな国ではないが、 ホスピタリティがあり、純朴な人たちが多いという印象を抱く点だ。

インドネシア訪問で筆者が抱いた不安として次のようなことがある。

(1)日本とのEPAが周知されていない
インドネシアでは多数の病院や学校関係者に会ったが、「詳しくは知らない」「卒業直後の看護師が介護職で行けるのですか」「何年いなければいけないんですか」「日本語ができなくても行けるんですか」などと、現場には満足な情報がない状態。 決定から実施まで短期問だったので当然かもしれないが、わずか3週間の募集期間で300名余の応募者があったのは驚きでもある。

   

(2)金儲けの対象にされるのではないか
首都のジャカルタには、数少ない台湾向けの民間介護訓練校があった(台湾の民間企業と捷携)。同校の関係者によれば、「日本からもたくさんの人が 商談に来ている」という。そして「いつから民間同士で自由にこの事菓ができるようになるのでしょうか」と逆に尋ねられた。今回は、政府が責任を持って受け入れを実施しているが、将来、民間が斡旋業などの形で不適切にかかわる危険性はないのだろうか。

   

(3)行政不信の声
多様な立場の人から、「インドネシアの公務員は汚職が当たり前」という発言を耳にした。実際に多額の手数料などがインドネシア政府側に支払われるわけ で、不安が残る。「『数が足りないから、島から集めろ』というたぐいの募集がされていた」とのうわさ話も耳にした。

 

差別意識と待遇の悪化 受け入れる日本側の懸念

 

日本側の問題も多大だ。

(1)現場の理解の低さ
まず、現場で働く看護師・介護職がこの問題に関心を持ちながらも、きちんと考えていない。このことが、要介護の人や患者、自分たち職員にどのような 影響を及ぼすのか。

(2)医療・福祉機関の温度差
大きくは2種類に大別される。一つのグループは、「どの国の人でもいいから、働き手が欲しい」。もう一つは、「国際協力・国際親善」。 「おカネがかかってもいい。これからは自分の国だけで何とかしようという、時代ではない」という考え方だ。
  しかし、受け入れが始まって混乱も生じている。解決策としてインドネシア人のコーディネーターを採用する法人も出ている。

(3)差別意識は出てこないか
日本人の中に、東南アジアの人々に対する差別意識が潜在的にあるのではないか。それが介護現場でどう表面化するか……。介護を受ける高齢者が、 介護をするアジアの若い介護職をどういう目で見るか。同僚として働く専門職は?日本人が真に人権・平等意識を持たないと二重三重の複雑な差別問題が 露呈することになるのではなかろうか。

(4)日本の看護職・介護戦の待遇悪化につながらないか
最も危惧していることの一つは、アジアから来る専門職の就労によって、日本の看護・介護職の労働条件・待遇が改善されない可能性があることだ。 単なる労働者としてではなく、専門職ということをきちんと位置づけ、国籍は問わず専門職の待遇を付与することが必要だ。そのことは、結果的に患者・ 利用者へのサービスの質に大いに関係する。

(5)日本政府の対応のあいまいさ
厚生労働省は、今回の受け入れはEPAという国家間の経済上の約束に基づくものであり、日本側の人員不足の解決策としてではないとはっきりと述べている。 しかし、看護・介護人材の確保を今後どのようにしようとしているのかが見えない。

人員不足の解決策としては、まずは日本人の看護師・介護職が安定的に就労できるための労働条件・待遇の改善などを優先すべきである。 それでも人員が不足するのであれば、外国に支援を仰がなければならなくなると思う。

ほかの先進諸国が他国の労働力に大きく依存しながら社会保障サービスを行っている中で、日本はどういう道を選択するか。経済不安が 大きいこの21世紀前半に、社会保障サービスを誰がどう担い、誰がその経済的な負担をするか。その明確化が求められている。

 

 
インドネシア人にとって「日本は兄のような国」

 

「日本をどう思っているのか」という問いに、あるインドネシアの関係者は次のように答えた。

「両国間には歴史的にはいろいろなことがあった。しかし、戦後、日本は欧米諸国と肩を並べる経済大国になり、その恩恵を インドネシアにも及ぼしている。その意味では、日本を「頼りがいのあるお兄さん』のように思っている人が多い」

 

看護学校の授業中に訪問して、「日本に行きたいと思う人は手を挙げてください」とお願いしたところ、恥じらいながらもたくさんの手が挙がった 。

 

EPAに基づく受け入れはスタートしたが、言葉の習得をどこで行うのがいいのか、国家試験、カリキュラム内容をどうすべきかなどなど、 課題は山積みだ。可能性と危険性の両面を持つ両国の看護師・介護職就労問題を、もっともっと多くの場で討論をすることが大事である。

 

 

 

★INTERVIEW翔ける人
『ガルーダ・サポーターズ』が立ち上がった!

りんくる 2009 5 vol.26 中央法規

 「ガルーダ・サポーターズ」呼びかけ人 宮崎和加子


***インドネシアの介護福祉士・看護師候補生たちの就労が始まりましたが、これまでの経緯を簡単に解説していただけますか。
 

昨年8月、インドネシアから208名の介護福祉士・看護師候補生(以下、候補生)が来日しました。半年間の日本語研修を経て、いよいよ今年の1月から100か所の介護施設・病院で働き始めています。介護・看護分野での外国人の就労というのは、政府間では初めてのことです。

 これは、もともと東南アジア諸国とのEPA(経済連携協定:Economic Partnership Agreement)に基づいて実現したものです。EPAとは、簡単 にいえば、国家間の人やモノやお金の動きを円滑化・促進していこうという取り決めです。

候補生の受け入れに関しては、以前からフィリピンとの交渉が進んでいましたが、結果としてインドネシアのほうが先行する形になりました。フ ィリピンからも、今年の5月には候補生たちが来日する予定です。

日本政府は、今回の受け入れを基本的に「人材交流」と位置づけています。したがって、1か国につき2年間で1000人(介護福祉士600人、 看護師400人)という上限を決めています。

 

***来日した候補生たちには、どのような条件が課せられているのでしょうか。

看護師候補生は、3年の滞在許可期間中に、日本語による国家試験に合格する必要があります。チャンスは計3回までで、合格できなければ帰国しなければなりません。介護福祉士候補生はさらにシビアです。4年の滞在許可期間がありますが、日本語の国家試験受験のチャンスは1回のみで す。まさに"1回勝負″です。

 

***このたび、「ガルーダ・サポーターズ」という組織を立ち上げたそうですね。

マスコミなどに報道されてきたとおり、今回の受け入れに関しては多くの問題がありました。私も、そのことについて提言してきた1人です。け れども、すでにインドネシア人の候補生が来日し、就業を始めているわけです。その彼女たちは、右も左もわからない不慣れな日本において、さまざまな不安や悩みを抱えていると思われます。

そこで、彼女たちをネットワークしたりサポートする組織が必要と考えました。それによって、日本とインドネシア、候補生、受け入れ介護施設・病院、そして利用者のすべてにとって、よい方向に寄与すればいいと思っています。

候補生の組織は「ガルーダ・ネットワーク」といい、支援者の組織は「ガルーダ・サポーターズ」といいます。現在、「ガルーダ・ネットワーク」に加入してくれた候補生は60名を超え、「ガルーダ・サポーターズ」には、約120名もの賛同者が集まっています。

なお、「ガルーダ・サポーターズ」設立に関わった中心メンバーは、立場も職業もさまざまです。自発的・草の根的に集まってきてくれた人たちで す。この組織は、特定の政治団体や営利組織、企業などの後ろ盾があるわけじゃありません。特別な献金を受けているわけでもありません。その意味では、運営方法や今後の方向性など、メンバーの間で相違がでてくるかもしれません。さまざまな人が参画し、議論し、盛り上げていく。私自身 も、どうなっていくか楽しみな部分があります。

 

***組織を立ち上げたことに対して、反対や批判の声も届いていると聞きましたが。

私のところに届く声のほとんどは、「応援したい」「協力したい」というものですが、批判や反対の声があることも事実です。

一番多いのは、賃金の安い労働者が入ってくることで、日本の介護職・看護職の給与や待遇、社会的評価が低下する方向に働くことを危憤する声 です。2つ目は、外国人に触られたり、介護されるのがイヤだというもの。日本の生活習慣や文化、価値観がわからない外国人に、介護は難しいとい う言い方をする人もいます。3つ目としては、EPA自体に反対というものです。不平等条約であるEPAを認めることは、日本が資源を破壊した り、搾取したりといったことになるという意見です。4つ目に、日本が外国人だらけになるのは許せないというもの。文化や歴史を含め、日本の伝 統やオリジナリティを守るべきという主張です。

こうした反対や批判には1つひとつに反論ができますが、長くなるのでここでは控えます。ただ、1つ目のことにかぎっていえば、日本の介護職・ 看護職の待遇も上げていく、そしてインドネシア人のそれも上げていく、この2つを同時に行っていくことが、よりよい結果につながるのは間違い ありません。

 

***「ガルーダ・サポーターズ」では、具体的にどんな活動を始めているのですか。
 

1つは、専用電話で候補生の相談にのることです。いわゆる「SOSコール」です。また、必要性のある場合には、介護施設・病院を実際に訪問 し、面談したり対応します。その他、「ガルーダ・ネットワーク」に加わった候補生に、こちらから電話をかけて状況や困り事などを尋ねることも始 めています。

 

***現段階で、候補生からはどんな相談が届いていますか。

候補生208名全員に対しては、このような組織ができたこと、支援する用意があることを伝えるために、全員にお手紙を差し上げました。その甲斐あって、全国の候補生から声が届くようになりました。現在、電話相談に応じているのは、20年間日本に在住しているインドネシア人の方です。 ていねいに耳を傾けると、どれも長電話になります。何度もかけてくる候補生もいます。

相談内容は、光熱費の払い方がわからない、郵便物の出し方を知らない、現住所への転居届けの手続きがわからない、最初のひと月分の給与がま だ支払われず生活に困っている等々……。日本での生活方法や仕事、待遇のことなどさまざまです。かなり深刻な悩みも聞こえてきます。

受け入れ介護施設・病院側の人を頼ればいいと思われる相談もありますが、おそらく仕事のことで尋ねることが山ほどあるなかで、気兼ねしてい る人もいるのではないでしょうか。説明をして済む場合もありますが、こちらから出向いて対処しなければならない場合もありそうです。

 

***今後、候補生たちは日本で活躍していくでしょうか。

入居者さんや患者さんへの影響を懸念する人もいますが、その点で私は心配ないと思います。昔、「男の看護士はイヤ」という人が多くいましたが、 A7そのようなことを言う人はあまりいません。それと同じです。初めは、性別や人種などが壁になることはありますが、次第に、その人のパーソナ リティーや人間性に目が向いていきます。関係がうまくいくかは、その人その人にかかっています。その意味でいうと、インドネシア人は親しみやす さや熱心さ、空気を読む力などがあり、きっと受け入れられるような気がします。

これは聞いた話ですが、べトナム人の看護師を7年間雇ったある病院では、患者さんが、その看護師の熱心な姿を見て、前向きに生きていく気力 や勇気がわいてきたとのことです。このような好例は少なくないと思いますので、4年後、国家試験に受からなくても、施設のほうが「手放したく ない」と思うほど、彼女たちは成長し順応していくのではないかと思っています。

最後に、介護・看護現場で働いている専門職の方たちにお願いです。とにかくこのテーマに関心をもってください。自分の職場に外国人が働いていなくとも、 当事者として目を向けてほしい。なぜなら、日本の現場をよくしたり、自分たちの待遇や社会的評価を高めていくためには、このこと に対する関心や発言が欠かせないからです。

[聴き手・編集部]